ぶん文訪問記⑥ 野口やよいさん(詩人会議)インタビュー

詩人会議の野口やよいさんは、第一詩集で「第30回 日本詩人クラブ新人賞」を受賞した今注目の詩人。透明感のある言葉と、ドキッとする展開が魅力的な作品を書かれています。青年劇場の応接室で6月5日にインタビュー。野口さんは丁寧に言葉を探しながら答えてくれました。お相手は東京芸術座の森路敏さん、記録係は青年劇場の福山啓子です。まず、まだ野口さんの詩を読んだことが無い方のために、特別に第一詩集「天を吸う」から森さんおすすめの作品をご紹介します。

 

 着地

 

右手で荷台の縁をつかんで

左手で帽子を押さえた

 

でこぼこ道を駆けるトラック

海と ぼうぼうの草と

きみのふくらはぎと

 

〈今〉しか持たず

箸が転ばなくても愉快で

 

いく度目かに車体が浮いたとき

きみは叫んだ

 

――大工になりてえ!

 

トビウオのように跳ねた声は

山こえ河こえ

本日 私の自転車を追いこして

前方に着地した

 

バイクのハンドルを握る男は

粋な黒のニッカズボン

(あれはきみだ、大人になったきみだ)

背中にこどもがしがみついて

人形みたいに揺れていた

 

―がっちゃん!
叫んだけれど

信号が変わって 行ってしまったね

 

きみは逞しい腕を後ろにまわして

こどもの尻を ぽん、と叩いて

 

同人誌から詩人会議へ

―野口さんが詩を書き始めたのはごく最近ですか?
野口 そうですね。家族の転勤で、私は勤めていた会社を20代に退職してケニアに行きました。わかってはいたんですけど、仕事は自分にとって思っていたより大事なもので、なくしたことで時間が止まってしまいました。なんとか立ち直ろうと色々試すなか、40代に入ってから詩と出会いました。書き始めたらやめられなくなっちゃったんですよ。書きながらずっと泣いているような気がしました。多分、自己治癒というか、回復するために自己表現していたのかな、と今思います。

しばらく一人で書いていましたが、だれかに読んでもらいたいたくなって、縁あって「冊」(さつ)という同人誌に入れていただきました。それから「冊」の同人の多くが所属している詩人会議につながって、2019年に第一詩集を出すことができた、という流れです。

―私はそんなに詩を読んでいるわけではないけれど、詩集の印象から言うと、生きることの切なさと、幸せみたいなものを感じました。平易な文章と、ちょっと最後のところでドキッとするというか。面白く読みました。

野口 ありがとうございます。私は詩を書くのにたいてい時間がかかって、また、「こういうのを書こう」と考えて書けないんです。あの人についてあの出来事について書きたい、とは考えるのですが、ある時点から考えを放棄して「待つ」。最初の一行が出てくるのを、魚が釣れるのを待つみたいに。ある時ふっと一行目が出てきますが、それをまた置いておく。するといつか続きが出てくる(笑)。

たぶん無意識に釣り糸を垂らしているのだと思います。意識の下には広大な無意識があって、そこから言葉を釣るには、一端考えることを脇に置かないといけない。自分の詩なのに、普段の自分では考えつかない言葉や思ってもいなかった展開になりますが、無意識に眠っている自分の真実というか、本当に望んでいることや感じていること、なのでしょうね。

―終わり方が劇的なのが何本かありますね。別に戦争の詩として書いているのではないだろうけれど、戦争の記憶もあって、興味深く読みました。『特別』という詩の、旧日本軍の捕虜だったアランさんとか。葛藤を想像しながら読みました。

野口 『特別』という詩は、日本人にひどい目に遭わされただろうアランさんが、なぜ同じ日本人の私に愛情を注いでくれたのだろう、ということを想像するなかで生まれました。戦争関係の詩を書いたのは詩人会議の影響もありますが、意外と経験した方々は直接語ってくれない。語れないぐらい深い傷を負われている。私の両親もあまり語らない。けれど、経験した代だけで終わらない影響があるのではないか、子や孫の代まで影響はつづくのではないか。加害をさせられた側もそうだし、被害を受けた側もそう。だから想像力を使って、戦争の傷をすくい上げることはしたいな、と思うのです。後の世代としてはそれぐらいしかできないので。

 

詩はポテンシャルのある言葉の芸術

―教科書でいくつか習うくらいで、自分で詩集を買う人は少ない。

野口 本当に日本では詩は読まれていませんよね。日本の詩人で詩で食べていける人は谷川俊太郎さんだけ。皆さん他に仕事を持ちながら詩を書いて、読む人もいないから自分たちで読みあっている。

状況が違う国もあるようです。「タゴール・ソングス」というドキュメンタリー映画を観たら、タゴールは非西欧圏で初めてノーベル文学賞を受賞したベンガル地方の詩人ですが、彼が百年前に書いた歌を今もベンガルの人たちは覚えていて、何かというとそれを歌って、心の羅針盤にしている。韓国でも、詩集は本屋の目立つところに平積みされていると聞きます。

この間たまたま読んだんですが、花森安治さんが始めた「暮らしの手帖」の編集長の方が「コロナになって詩を読みたくなった。読んだら支えられた」というようなことを書いておられた。そうそう、と膝を打ちました。詩には人を支える力がある。苦しいときに慰めてくれたり、新しいものの見方を教えてくれたり。詩は友だちになってくれます。

 それに、詩って何もいらないじゃないですか。短くて覚えてしまえるので本もいらないし、舞台もいらないし。再生するデッキもいらないし、どこにでも持ち運びできる、すごくポテンシャルのある芸術だと思います。それなのに日本では浸透していない。森さん、私の詩集を読むことになったときに困ったんじゃないか、と(笑)内心思いました。

―いえいえ(笑)。現代詩って僕もあまり読んでいないです。自分の引き出しをひっくり返すと、中原中也と、海外の詩を翻訳した上田敏とかは多少読んだかなというくらいで。平易な言葉で書いて、例えがあるから、それがどういう意味なのか考えながら読むので、短い中に凝縮されたものがあるっていう感じですね。

野口 それはうれしいです。ありがとうございます。

―読んで、反芻して、という感覚が面白い。僕はどうしても読む時に声を出しちゃうんです。大きな声を出すわけじゃないけど、声を出さないと入って来ないという感覚があって。だから「これなんて読むんだろう」なんていうことが気になって。

野口 ああ、なるほどね。演劇の方だから。詩も昔はそんなに書き留められなくて、口伝えのものが多かったでしょうから、それは本来の読み方なのではないでしょうか。

―ギリシャの劇なんかは詩と密接な関係があるんじゃないですかね。

 

子どもの頃の原風景

―『みずうみ』という詩も好きですね。「いつか目覚めない夜がきたら」というところに、死んでなくなっていくということもイメージしたし、その過程で自然と一体になっていくという感覚も。

野口 うれしいです。『みずうみ』は「みずうみをもっている」という行から始まる詩で、好きだと言ってくださる方の多い詩でした。摩周湖や阿寒湖を所有しているという話ではなくて、どこかにある、でもどこにあるかわからない湖。それを夜な夜な訪れる、という詩です。

―湖が何であるかっていうのはやっぱり説明できないんですよね。

野口 (笑)そうです。永遠の恋人、と解釈してくださる方もいたし、そこから生まれてそこに帰っていく魂のふるさと、と解釈してくださる方もいました。自然と一体になる、というのも落ち着きますね。湖は私にとって特別な存在なんです。湖の近くで育ったので、原風景みたいなものなんです。

―子どもの頃ってそういうことを感じる時があるんですね。僕のうちの裏には牧草地があって、そこに寝っ転がるときもちいいんですよ。熊本の実家の裏手にあったんですけど、今は宅地になっちゃって。熊本市の郊外ですから。

野口 私も熊本です。出てきましたでしょ、方言が。

―あー。なんか九州の言葉だなと思いました。

野口 両親とも熊本出身なんです。昨年父が他界して、父の足跡を辿ろうと、この3月、久しぶりに熊本を訪れました。私自身は熊本で暮らしていませんが、感覚としては、「久しぶりに帰った」と言いたくなるほど親しく感じています。

―そうですか。なんか懐かしいなと思って読んでいました。熊本のどのあたり?

野口 父は藤崎八幡宮のすぐ近くで、母は白川沿いの東阿弥陀町です。

―『毛布』という詩の中にある「八幡様」は、藤崎八幡宮なんですね。

野口 そうなんです。

―「五右衛門風呂がある煤けた家」って。そう思ったらちょっと印象が変わりましたね(笑)。この詩も面白く読みました。五右衛門風呂だったんですか。

野口 そうです。

―僕は入ったことないんですけど、母の家の風呂がそうだったって話を聞いたことがある。底に板が敷いてあって、うまく乗らないといけない、という(笑)。詩の中で、お祖父さんは日露戦争に行っていると。本当に長い期間を感じますね。

野口 『毛布』は、日露戦争に行った祖父が、なぜ死ぬまで薄汚れた海軍毛布を手放さなかったのか。その疑問から生まれた詩です。日露戦争は1904年、大昔な感じがしますよね。

―その後に出てくる「閃光/爆撃音」というのは熊本で受けた空襲ですか。

野口 父と母は熊本空襲を経験しています。母は布団をびっしょり濡らしてそれを被って火の粉を避けながら逃げたって。振り返ったら市街地は燃え上がっていたと聞きました。この詩の「閃光/爆撃音」は、祖父が海軍の船の上で体験しただろうものとして書きました。

―死が近くなってまたそのことがお祖父さんの中で鮮やかに蘇ってしまう。

 

蘇る記憶

野口 やはり戦争を描いたもので、『面』という詩は、戦争で精神のバランスを崩してしまった祖母の話です。戦後、彼女は健康になりましたが、一生、「ほほ笑んでいたが/泣いているようにもみえた」笑顔でした。話は飛びますが、私がケニアにいた時に、ウガンダ難民の女性が家で働いてくれていたんです。私にとってのアフリカの母のような人。彼女が祖母と同じ、泣いているように見える笑顔の持ち主だった。「あ、おばあちゃんと同じだ」と思っていたのですが、親しくなってから知ったことには、彼女はウガンダ内戦で、夫を目の前で射殺されて、子どもを連れてケニアへ逃れる途中でレイプされて、と壮絶な体験をした人でした。人種や国、時代に関係なく、戦争で受ける傷というのは生半可なものではない。それを伝えたくて、祖母の話ですが、死が近づいて気力体力が失われたとき、それまでかぶっていた笑顔のお面がぽろりと剥がれてしまった、するとその裏で彼女は戦後もずっと泣いていたことがわかった、という詩になりました。

―私は病院でアルバイトしてるんです。お年寄りは、体は衰えてリハビリしたり、認知症になってきたりするけど、昔のことがよみがえるのか、不思議な振る舞いがいろいろありますね。お話を聞きたいけど、僕は掃除をしてるだけだからそういうわけにいかない。でも話しかけてくる人もいて。

野口 それは話の宝庫ですね。

―いろんな人を見ていると、死の間際になって蘇るということはあるかなと思います。

野口 詩人会議の機関誌に詩で書かせていただきましたが、父を去年看取った時、最後は本当に<蘇る>の連続でしたね。認知症だったので昨日だれが見舞に来たかも忘れてしまうのに、戦争の話や「チンドン屋が来た」とか騒いで。人間って八割くらい子ども時代に決まっちゃうのかもしれないな、なんて思いながら聞いてました。

―大事な時期ですね。私たちの年代ではまだ振り返ったりしないけど、人生の終わりになってみたらいろんなことが思い出されるんだろうなと思います。

野口 すごく臨場感のあるセリフを言うんですよね。「はようはよう しかぶる」(早く早く 漏らしちゃう、の意。熊本弁)。どうも父は小学校でお漏らししたらしくて。びっくりしました。

 

詩で支えられる

―野口さんの描く人間にはやさしい印象が強いですね。

野口 ありがとうございます。私は児童文学で育ったという気がしています。子どもの頃に月々、「こどもの友」だったかな、子ども向けのお話の冊子が送られてきて、それを読むのがとても楽しみでした。そういう世界ってやさしいじゃないですか。現実の世界よりも、作者がこうあってほしいと思う世界。大人になったら大変なことが一杯あるだろうけど、これを糧にしてほしいという祈りがある。それに育てられたので、影響が出ているかもしれないですね。

私自身の願いが詩に出ている、ということもあるかもしれません。今の世が殺伐としているので、もう少しやさしくならんかなと思って。さっきの「暮らしの手帖」の人も言ってたように、だれでも何かに支えてもらう必要がありますが、子どものころ私は児童文学に育ててもらったし、大事な仕事を失った後には書くことでも読むことでも癒されたので、自分もお返しをしたい、という思いもあります。

―『ブラウス』なんか読んだ時に、そうだな、「ああやっときゃ良かった」って後悔することあるなって思って。(笑)

野口 『ブラウス』は義理の母が私にブラウスをプレゼントしようとしてくれたのに、趣味が合わないので断ってしまった、という苦い経験を描いた詩です。本当に若気の至りで、いまだに後悔しています。

―若い時ってなかなかそこまで見えないですね。そういうことが詩の種になってるのかな。

野口 現実にはもう取り返しがつかないことを、詩で回復しようとしたのでしょうね。詩だけではなくて、文学には、そんな悔いや失敗をなんとか受け入れようとしたり、取り返しのつかないことに新しい価値を付与したり、と救う働きがあると思います。詩でありがたいのは、そのために何百ページも書かなくていいところ(笑)

―いや、それはなかなか難しいでしょう(笑)。

野口 短い割には、時間がかかるんですけどね。詩の種といえば、昨日は歩いていて高い木の横を通ったんですけど、上の方に丁度夕日が当たって光っていたんですね、燃えてるみたいに。それを見て、「こんな高い木でも、上の方はまだ伸びようとしてるんだ」と思った。つづいて、「生きることは、最後の日まで成長しようとすることなんだ」と思ったとき、「あ、これ拾った」(笑)と。いつ詩になるかわからないけれど、そんな発見を詩の種としてストックしておきます。そうすると他の種とガーンってぶつかって、水素と酸素がぶつかって水になるみたいに、化学反応して、いつか詩が生まれるかもしれない。

 

異質なものがぶつかりあって新しいものが生まれる

―創造するということでは役者と共通してる部分があるかも。異質なものが結び付くという。役者としては、「自分のしてきた経験がこの役と結びつくかな」という感覚が大きいような気がします。

野口 自分だけで完結しちゃうと、あるいは一つのことだけで完結しちゃうと、つまらないんだけど、それが何かとぶつかった時に新しいものが生まれますよね。

―今まで当たり前だと思っていた景色が違う風に見えるということが書かれている。

野口 気づきですよね。木はずっとそこにあったのに、「生きているかぎり成長しようとするんだ」と気づいたから、私にとって特別な木になりました。森さんはすごくわかってくださる(笑)役者さんもそうなんですね、知らなかった。

―人にもよるかもしれないけれど、自分の中で芽生えたものを僕は使いたいですね。「当たり前だと思っていたのが違うんだな」というのは素敵だなと思いました。

野口 ありがとうございます。

―『着地』はほんとに面白い。それまでの詩と違って、はなから生き生きしてる。イメージしやすい。

野口 『着地』は、学生時代に吸っていた自由な空気が一つの種だと思っています。楽しくてたまらない時代でした。その後、どんどん窮屈になってしまいましたが、私の中にはまだ「自由」のきれはしが残っていて、それが「大工になりてえ!」という言葉と反応して詩になりました。こんな風に生きていいんだよ、と自分を鼓舞する思いと、読んでくださる方にそれを伝えたい思いと、どちらもあります。

―寝かせるというのは、いつそれが発芽するかわからないんですね。

野口 わからないです。ずっと発芽しないまま終わっちゃう(笑)こともあると思います。でも役者さんもそうなのかな、「できた!」ていう瞬間ありますか? 「この役は俺できたぜ」みたいな。「わかった、俺のものになった」って。

―自分の役と役者の人格とかいろんなものがつながったという感覚がある時はあります。毎回じゃないですけど。そういう時は興奮しますね。

野口 ああ、1たす1が5になったみたいな。それは得も言われぬ幸せでしょうね。今の時代の流行のエンターテイメントって、刺激をもっと強くもっと強くっていう風に、あるいはスピードをもっと速くもっと速くってなってるけれど、それは「もっともっと」でキリがない。演ずるにせよ書くにせよ、「自分で作る」っていう方は全然ベクトルが違うと思います。その営みには、じわっとした喜びがあると思うのですが。

―基本的に演じるということ自体は何も必要ないんだと思います。作品としては衣装や道具が必要なこともあるけど。俳優の演技中心で私たちは作品を作っていく。一方で「刺激を刺激を」という中でもこういう表現があるというのは価値があるのかなと思います。

野口 自分と役が一緒になった時というのは、たとえばお茶を飲む演技の場合、自分が過去にお茶を飲んだ時の喉の感覚だけじゃなくて、その時に無意識の方でほわーっと受けた影響までもが来ているのかも。

―情景も含めた感覚として、再現できたらいいと思います。空気感とか呼吸とか。しっくり来るとつながったかな、と思います。

野口 呼吸ですか。

―呼吸はついつい気にしちゃいますね。どこで切れるか、どこでつながっていくか、みたいな。そういうことを考えながら読みます。

野口さんの作品はすごく平易な言葉なんだけど、「この言葉とこの言葉がつながってる」って不思議な感じがしたところがありました。『蜜』という作品も、どう捉えていいかなと。焼き場の風景なのかなとか、木からぽとりと落ちる花のイメージとか、夢の中に蘇るお兄さんのイメージとか、いろいろ混じってて。難しいな(笑)と思って。

野口 すみません(笑)。『蜜』は、死んだ兄と夢でいいから会いたい、と願っている弟の詩です。兄はなかなか夢に来てくれない。十年たってやっと来てくれます。どうしてそんなに時間がかかったんだろう、と想像しました。喩が沢山使われているから、わかりづらかったのでしょう。「骨片になった兄を/弟はさらに ちいさくした」というのは物理的に骨片を砕いたのではなくて、兄の死をなかなか受け入れられなかった弟が、十年間の喪のプロセスを経て、その死を消化していった、ということです。死者になったお兄さんと新しい関係を結べるようになったんだな、と。

―『恋人たち』は、最初にタイトルからイメージするのとは違う姿の二人の様子。詳しく書かれているわけじゃないけど、関係性が見える。

野口 その詩は、タイトルがいい、と言ってくださる方がやはり何人かいらっしゃいました。恋人たち、というと、若くてきれいで怖いもの知らずのキラキラした人たちがぱっとイメージされるけど、これはその真逆にあるような二人の話。そんな二人が菓子パンを一緒に食べて、にこにこしている。遠くの世界にいる美しい人たちでなくて、そっちの方が、私やあなた、なのですよね。

 

合評会の大切さ
野口 詩は一人で書きつづけていたのでは、全然違ったものになっていたと思います。同人誌の「冊」でも詩人会議でも、合評会ということをするんです。定期的に集まって、互いの詩を批評し合うんですね。「冊」は半年に一回。詩人会議は毎月。行くと、メタクソに言われるんです(笑)。「野口さん、私たちが入ったころはもっときつかった、もっとすごいこと言われたから」と先に入った同人たちに慰めてもらいましたが、私にとっては「ええっ」っていうくらい言われて、すごい凹みました。でも、後になって骨身に沁みましたが、それが良かったんです。

一人でやっているとどうしても独りよがりになってしまう。「これ、わかるでしょ」と読者に押しつけてしまう。でも合評会では「これ意味不明」とか、「これはちょっと説明しすぎで詩になってない」とか指摘してもらえる。逆に、自分で思っていた以上のことが伝わってることもある。自分の詩をもっと客観視できるようになるんです。非常に鍛えられました。このインタビューは詩人会議の紹介だから言うわけじゃないんだけど(笑)、詩人会議のように合評会を毎月開催してくれるところはないです。すごくありがたいです。残念なことにコロナでしばらくできなくて、今はオンラインでやっています。先月からハイブリッドになって、オンラインと対面と両方やってるのかな。それは続けてほしいし、詩を書く人にはぜひ参加してほしいなと。これは言っておこうと思ってきました(笑)。

 

コロナの影響

―コロナになって、合評会への影響だけでなく、作る作品に影響ってありますか。

野口 これが最初の詩集だったので、「冊」の同人の皆さんがお祝い会を開いてくれました。2020年の2月の末で、ギリギリでできたんですね。皆さんに祝っていただけたことが、私はとても嬉しかった。

―それからいろいろ制限が出て来ましたね。

野口 その後は、折角頂いた新人賞の授賞式などが一切なくなってしまった、という影響を受けました。作品への影響という意味では、私自身は、正直あまり受けていない気がしています。あとになったら、そんなことはなかった、と思われるかもしれませんが。他の方については、心身に影響を受けていることが察せられる作品や直接コロナのことを書いた作品を数多く読みます。詩集や詩誌の編集作業は大変になったと思います。詩人会議もしばらく事務所を閉めていました。

―直接のやり取りじゃないとなかなか意思の疎通がうまくいかないということもある。

野口 事務所があって、そこで編集作業をしてたのが、電話やメールのやり取りで作業するのは大変なことだろうと思います。

合評会はオンラインになって新しい展開があったんですよ。対面だと、詩人会議の読者会(合評会)は大塚の事務所でやるので、東京近郊の方しかいらっしゃれない。メンバーが固定化していたんです。それがオンラインになったら、全国津々浦々、紙面で名前だけ知っているような方々が参加されるようになって、プラスの面もあったようです。

―新劇人会議も、会員が全国にいるんです。年に一回大会をやるんですけど、当然こちらには来られないけど、zoomがあるから参加できるのは面白いです。

 

オンラインの功罪

―私たちは演劇をやってるから、演劇までリモートでやるかというと、そこらへんはよくよく考えて付き合わないとダメかなという気はしています。便利なツールではあるけれど。

野口 対面だと、関東近郊とそれ以外に分断されていたのが、オンラインだと、詩人会議は年配の方が多いので、ITが得意な方とそうでない方に分断された、という面があります。私もオンラインになってからは、実はほとんど出席していません。

―私たちの今までやってきた仕事は、お客さんと同じ空間でお互いに作り上げるというか、そういうことが根深くあるので、じゃあ、映像を作ってYouTubeみたいなとこでやるかと言われるとちょっとためらうところがあるし、元来求めていたことじゃないんじゃないかっていう違和感がどこかにある。

野口 それは観客の側もそうではないでしょうか。コロナが段々下火になっていく中で、久しぶりに音楽会に行ったんですけど、そこに居るだけで他の観客の人たちとコミュニケートしてるんですよね。舞台の上とは当然だけれど、観客同士でも何かを共有していて。何なんでしょうね、それはちょっとオンラインではこぼれてしまう気がします。

―生の醍醐味ですね。例えばお話の筋とこういう展開みたいなことはもちろん伝えられたとしても、やっぱり空気感、舞台の上で作り上げた空気が客席に伝わって、ていうようなことはまず無理だから。そこが一番おいしいところなのに。

野口 なるほど。やっぱりオンラインだけじゃダメなんですね。なんだろう、ノイズが切り落とされちゃうんですかね。情報だけは伝わるんだけど。

―演劇の場合は、音楽の場合と違うのかわかりませんけれど、やっぱり私たちもお客さんのことを感じてやってるから。

野口 そうなんですか。

―別に客席とやりとりはしないけれど、なんとなく「今日のお客さん、すごく集中してるな」とか、そういうのあるんですよ。それによって芝居の出来が違ったりする。映像だとそれが分離してしまう。そういうのは映像には乗らない部分じゃないか。

野口 なるほど。

―お客の立場で言うと、劇場まで出向くというのは特別なことだし。

野口 新人賞の授賞式がなくなってしまって、文章だけ書いたんですよ。それきりだったんですが、「冊」の仲間が、日本詩人クラブの大賞にあたる賞を今年受賞したんですね。今年は授賞式ができて、私ものこのこついていったら、「野口さん、二年前に話せなかったから」と言われて、急遽舞台に上がることになった。びっくりして、しどろもどろになってわけのわからないことを話したんですけど、後になって、話せてよかったな、と思いました。そこに座っていらした方々と何か交わした感覚が残ったんですよ。

―無言の何かが。

野口 そう、ありがとう、おめでとう、の気持ちを交換した。デジタルデータだけではそうはいかないだろうなと思いました。今の話を聞いて思い出しました。

―同じ空間を共有しているというのは、私たちが思ってる以上にね。

野口 全然関係ないんですけど、猫とか犬とか飼ってらっしゃいますか?

―犬を飼ってた時期はありました。

野口 言葉が通じなくても、だんだん友情が育まれる、それも思い出しました。

―こういう詩集を出して折角だから朗読する会をやってみたいとか?

野口 いやー、やったらはまるのかもしれないけど(笑)。どうなんでしょうね。考えたことないです。

 

―どうしても私は耳に頼るから、音で聴きたい。もしそういう機会があれば野口さんの詩を聴いてみたいです。ありがとうございました。

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6月25日に文団連59回総会をZOOMにて行いました。

 

6月25日に文団連59回総会をZOOMにて行いました。
「消費税の5%への減税とインボイス制度の廃止を要望します」
を内閣総理大臣宛に内閣府、財務省、国税庁に送りましたのでお知らせします。
代表幹事・事務局長は以下の通り全員留任です。
●代表幹事 秋村 宏(詩人) 大西 進(作曲家) 鈴木龍男(演出家)
田島 一(作家) 安 和子(画家) 明石武美(元事務局長)
●事務局長 大津留公彦
必要な情報がありましたらお知らせ下さい。
以上宜しくお願い致します。
文化団体連絡会議 事務局長 大津留公彦

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消費税の5%への減税とインボイス制度の廃止を要望します

内閣総理大臣 岸田文雄殿

消費税の5%への減税とインボイス制度の廃止を要望します

物価の高騰が続く中で個人の生活にも、文化・芸術活動の中でも消費税の痛税感が高まっています。消費税は所得の低い層に負担率の高い不公平税制です。物価高騰から暮らしと文化・芸術活動を守る特効薬の政策として、消費税を直ちに5%に減税することを要望します。また2023101日より導入が予定されているインボイス制度の廃止を要望します。インボイス制度の導入は、消費税を納める必要のある企業や個人事業主免税事業者はもちろんのこと、フリーランスで活動している多くの芸術家にとっても影響があると考えられます。

 新型コロナによる経済危機を打開するため、世界の100カ国近くの国と地域で日本の消費税に当たる付加価値税の減税を実施しています。日本で出来ないはずはありません。

インボイス中止を求める地方自治体は272にも達しています。
 消費税を5%に戻せば複数税率でなくなりインボイス制度は不要になります。

立憲民主党、日本共産党、れいわ新選組、社民党の4党は610日、消費税減税と適格請求書(インボイス)制度廃止などを盛り込んだ消費税減税野党共同法案を衆院に共同提出しました。
 国民の生活と文化・芸術活動を守るために、消費税の5%への減税を要望します。  そして中小業者・フリーランスの生業を守るためにインボイス制度の廃止を要望します

2022625

 

文化団体連絡会議(文団連) 第59回総会

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(声明)ロシアのウクライナ侵略を許さない!

(声明)ロシアのウクライナ侵略を許さない!
2022
225

文化団体連絡会議幹事会
 ロシアはウクライナ東部地域の独立を承認し、軍隊の派兵を行うと共に24日にウクライナ各地の軍事施設、キエフ、オデッサなどへの攻撃を始めました。

ロシアのこの行為は明確に国連憲章違反です。

国連憲章には国連加盟国の主権や独立、領土保全の尊重、武力による威嚇の禁止を明記しています。
またロシアは核兵器の使用を示唆しています。広島・長崎・ビキニと被曝した唯一の被爆国である日本の文化団体として核兵器の使用は断じて認めることはできません
ロシアは軍事作戦を直ちに中止せよ!
ロシアはウクライナから手を引け! 以上

 


#戦争反対 #NoWar #StandWithUkraine 

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間部友哉さん(うたごえ)インタビュー

ぶん文インタビュー5  うたごえ 間部友哉さん
12月14日、ぶん文インタビュー初のzoomインタビューを行いました。お相手はうたごえ祭典を終えたばかりの、うたごえの青年学生部長で愛知青年合唱団の間部友哉さん。12月3日~5日、3つの音楽会にのべ4380人が参加した「核兵器禁止条約発効! ひかりにむかって 2021日本のうたごえ祭典inひろしま」。間部さんはコロナ下でオンラインで合唱練習をしていたというだけあって、zoomはお手のもの。インタビュアーはいつも通り東京芸術座の森路敏さん、記録係は青年劇場の福山啓子。「うたごえとは何か」という本質に迫るお話が聞けました!
コロナ下でも工夫を凝らして練習
―広島のうたごえ祭典成功おめでとうございます。こういう大掛かりなイベントをこの時期にやれたというのは、我々としてもうれしいです。間部さんはどういうきっかけでうたごえの運動にかかわることになったんですか?...
もっと見る
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2013年実施済み3.11から2年 震災復興・原発ゼロへ

“生きる権利と文化”フェスティバル

被災地に心を寄せ、震災復興、原発ゼロへのジャンルを越えた取り組みを

それぞれの表現から学び、交流し生きる力を生み出す文化の発信を

プログラム

シンポジウム

テーマ~3.11から2年 震災復興・原発ゼロへ“生きる権利と文化”

シンポジスト

三上満(「子どもの権利・教育・文化全国センター」代表委員)

笠井貴美代(新日本婦人の会会長)

若松丈太郎(詩人、福島在住)

田中嘉治(神戸市役所センター合唱団団長・日本のうたごえ全国協議会副会長)

2013年4月6日(土)プログラム      2013年4月7日(日)プログラム

 ・ゲスト(うた)           ・ゲスト(講演)     

   ◇ナターシャ・グジー          ◇徐 京植 

・うたごえ、詩人会議、労音、    ・安保体制打破新劇人会議、ともしび、

日本美術会、日本民主主義文学会   新俳句人連盟、美術家平和会議、

による報告・表現Ⅰ         新日本歌人協会よる報告・表現

・シンポジウム          ・映画上映(映画復興会議)

ぶん分訪問記