ぶん文訪問記⑪
6月16日(日)、文団連賛助団体の日本リアリズム写真集団のなにわ写心支部に所属する宮崎悦子さんにzoomでお話を伺いました。宮崎さんは奈良にお住まいで、自宅でお店とギャラリーをやっていらっし
ゃいます。奈良の街中に普通に鹿がいる!そんな風景を撮った写真を見せていただきました。インタビ
ュアーは東京芸術座の森路敏さん、記録係は青年劇場の福山啓子です。
写真展で入選したのをきっかけに
―何点か写真を見せていただきましたが、街中の写真が多いですね。写真を始められたきっかけをまず。
始めたのは30代の前半なんです。遅いんですよ。夫がその頃写真を撮っていて、「どっかの写真クラ
ブに習いに行きたい」と言って、ちょうど私はその時仕事がなくて暇だったんですね。なんとなくつい
ていって、何か私も入ることになってしまってね、そういう経過です。「なんでやろな」と思ったんで
すけど、一眼レフを買って、夫と一緒に撮影に行った。それが始まりなんです。
―それで面白いと思った。
元々は動物を撮るのが好きなんです。犬カフェとかで、犬と人間をあんまり考えずに撮ったんです。
それが視点写真展で入選したのがきっかけです。こっちは気楽に撮ったつもりなのに、入選したのでびっくりして、やる気になった感じです。
―普段はどういう写真が多いですか?
普段は人物スナップが多いです。私の場合は近距離スナップ、2,3mくらいの近さで主に撮影して
います。
―対象との距離が近いと対象が意識しますよね。どういったことに気を付けていますか?
よく見ることですね。撮る前に、それが面白いと思わなければ撮れないですよね。ぼーっと普通にス
トリートを見ていたら、人が歩いてるだけやないですか。よく見たら、人の仕草とか動き、空の流れと
か、なんやったら古い町並みとか、見えてきますよね。よく見ながら、いいなと思ったら考えずにバシ
ッと撮りにいくって感じです。
―面白いですね。撮りにいくまではわりに時間をとる。対象を決めるまでに時間がかかる。
そうですね。カメラ持った瞬間にモードをカチッと変えるので、始めはちょっと戸惑うけど、一枚撮
ったらあとはどんどん一時間くらいは撮っています。いいのが見えたら。
―私も昔はカメラをいじってたことがあるんですが、私は自然を撮ることが多かったです。人物ってな
かなか難しいと思って。
私も、人物をやってみたい気持ちはすごくあったんですけど、始めは怖かったです、正直。10年以上
前でも肖像権の問題がうるさくなってきた頃なんで、怒られやしないかとか。実際怒られたこと何回も
ありますから。でもね、なんて言うんですかね、簡単に言えば、教えてくれた人が、「やれ」と言うん
でしゃあないなと。で撮ってみて、近距離でないと、人物の表情とか仕草、周りの風景も何かしっかり
しないというか、そういう法則があると思って。望遠のスナップは、すごい人もいるんですけど、私に
は向いてなかった。楽にできる望遠のスナップは面白くないんですよ。私にとっては。
―被写体と撮る側の関係みたいなことも写真に出る?
そうですね。私が魅力を感じる方はだいたいちょっと変わった方とか、服が変わってるとか、雰囲気
が人とはちょっと違うなっていう方が多いんですけど、そういう方は大体撮られても気にしないんです
ね。撮ったら「あ、撮られたー」って言って、普通に「びっくりしたー」って感じで。中には神経質な
方を撮ってしまって怒られたことはあるんですけど、その時は「すみません、あなたが魅力的だったの
で」(笑)ってあやまったら「まあ、いいよ」とかって感じ。そうやってるうちにだんだん面白くなっ
た。
静かに流れる「なら時間」
―写真の仲間、グループに入っていますか?
日本リアリズム写真集団の「なにわ写心支部」っていうところに入ってます。
―一緒に撮影することは?
ありますよ。「私のスナップは怖い」って言われますね。すごい近距離でガーッて来るから(笑)「
見ててハラハラする」とか。一緒に撮ってるとたまに私が怒られてるのを聞くのでね。でも私はあんま
り怒らへん人をちゃんと対象に選んで撮ってるつもりなんで大丈夫かなと。あと、なにわ写心支部は人
物を撮ってる方が多いので理解が早いですね。「すごいね」って言われることもあるし。だから楽しい
です。
―写真集も出されてますね。
はい。「なら時間」っていう。奈良の全体、吉野くらいまでの、人とか観光地の様子を撮った写真集
です。
―「なら時間」て面白い言葉だと思うんですけど、この言葉についてお話いただけますか。
私はその頃写真研究所に奈良から通っていたんですけど、先生に「地元を撮りなさい」と言われて。
私は大体先生に言われたことをする傾向があるんですね。それで必死で5年間くらい撮って、なんとな
く完成したなと思った時に、じっと見たんです、自分の写真を。それまでは自分が面白いと思った瞬間
を撮っただけっていう感覚だったんですけど、どうもなんか、静かな時間が流れてるなということを感
じたんですよ。私の写真全体に。それを先生に伝えたら「それいいね」という感じで。奈良ってすごく
人間がのんびりしているし、静かな環境だし、「そういうのが表現されてるよ」と言われて「なら時間
」というタイトルにさせてもらいました。
―写真て不思議ですね。一瞬をとらえているのに時間とか、被写体との関係が見えてくる。
写真の仲間と共に
―仲間と撮った写真を合評したり、集まりはけっこうやられているんですか?
はい。なにわ写真支部は月一回集まります。私はお店やっていて忙しいので休むことも多いんですが。30代の頃は東京に二週間に一回行って、現代写真研究所の写真学校で日曜写真専科という所に通いま
した。東京のスナップ写真を撮って、それを見るというコースがあって、それはすごくガン見しました。
「写真はどうやったらうまくなりますか」って聞いたら「とにかく写真見ることだよ」って言われた
んです。「わかりました」って言って、素直に他の方の写真を見て見て、こんなに見て何か意味あんの
かなーとか思いながら見ていて、ある時、一年間くらいたった時ですかね、「だいぶスナップうまくな
ったね」って言われて。やっぱり仲間で一緒に撮るっていう、ライバル心とか、同じ場所を撮ってるの
に全然違うとか、いろんな撮り方があるんだって無意識に勉強していたんですね。それを自分の写真で
も自分なりに表現できるようになったから、「うまくなったね」って言われるようになってきて。それ
を二年間やりまして、記録集として5冊くらい、「東京ラプソディ」っていうタイトルにして写真集に
したんです。
そしたら先生が、「被写体の力を奪ってるようなすごいスナップになってる」って話をされて。パワ
フルなスナップっていう意味だと思うんですけど。そしてリアリズム写真集団に紹介記事を書いてくだ
さって。それで「スナップってすごいんだな」って思うことが出来ました。私が選ぶのは元々パワフル
な人なんですけど、その人との関係が写真に写りこむ。「あなたは人間大好きでしょ」って言われて「
はい、そうです」「この写真見てたらよくわかるよ」と。人間との関係を表現するって言うんですかね。それで救われた気はしました。病気をしてるんで。20代は正社員だったんですけど、病気してやめて、どうしようかなと思っていた時やったので、表現するっていうことが私の次の人生かなとそこで思い
ました。
―興味深いですね。写真を撮る時にはそんなに考えないで撮るわけですよね。
もちろん、はい。
―俳優も演じている時はなんでもない風にやってるけれど、準備しているから。さっき仲間と撮り合っ
て無意識のうちに勉強していくという、そういう所が表現者として共通するものを感じました。
あ、やっぱりそうなんですね。いろんな方のを見て感じ取っていく。演劇でも。
―はい。写真ていうのはやっぱり瞬間を切り取っていくものですか。
そうですね、先生は瞬間って言い方をよくするんですけど、有名なブレッソンという方がいて、ああ
いう決定的瞬間をねらってます。決定的な、全てがいい具合に、その人の言いたいことも伝わってくる、そういう写真を目指しながら頑張ってるという感じです。今はSNSだけでインスタグラム中心でやってる人が多いんです。プリントもしない、展示もしない。そうじゃなくてプリントをして誰かに見せないと伝わらないことって多いんだなって感じました。私の場合は写真集にしたら写真が大きくなりますよね、紙にちゃんとプリントされると。見せる状態にしてから評価されたから、表現する時にはそのことが
すごく大事なんだなって感じました。「ちゃんと見せる」っていう言い方ですかね。
―写真集にすると、一つ一つの作品もだけど、一つの本としての作品、ということですかね。
そうです。見せられる作品にしてしまわないと本当の私の気持ちは伝わらなかったろうなと、今にな
って思います。
いい写真はヒューマニズム
―「いい写真」てなんでしょうね。
うーん、私はヒューマニズムだと思うんですよ。例えば、リアリズム写真ですからドキュメンタリー
も多いですけど、その写真の中身もヒューマニズムでなければいけないと思うんです。私は仕事の都合でなかなかそこまで、報道ドキュメントは撮れないんですけど、それでも絶対人を馬鹿にした態度の写真は撮らないって決めてます。そもそもその人間の何気ない所を撮りたい、いい所を撮りたい。そこを外したら多分リアリズム写真は死んでしまうんじゃないかなと思いますね。
―今はSNSでスピード早く拡散していく。その一方でちゃんとものを見てるかなと思います。
例えば今の若い人たち、SNS中心で満足してる人たちに言いたいのは「ちゃんとプリントして見せる。そこから本当の楽しみが始まるよ」ということです。
ちょっと実験をしてみたことがあるんです。きっかけは、私がお店をやってるので、お店屋さん仲間
で企画をしようよということになって、SNSで、インスタグラムとツイッター、今Xですけど、ハッシ
ュタグをつけて、「あえて顔なしの猫さんを撮ってみよう」と。顔を撮らずにに猫さんを表現してくだ
さいという企画をして募集したんです。そしたら40人くらいから作品がどーんと集まった。一人三枚ま
でという規定があったんですけど。
それをリアリズムの本部の方に持って行ったら、「これすごいじゃないの」「こんなにSNSに写真を
撮れる人がいるんだね」という話になって、日本リアリズム写真集団が後援して、やってみようと。主
催はまだ私ですけど、実験的ですから。SNSで会員発掘と「視点」の応募数を増やすためにやってみよ
うということになっています。
今は写真人口が増えて、全員が写真家だと言われてますけど、本当に写真の面白さを知っている人は
ほんの一部にしか過ぎないんですね。それをリアリズム写真集団が、上から目線でなく、伝えたい。本
当の表現する楽しみを。「いいね」が多いのがいい写真じゃない、感動する写真がいい写真なんだと。
そこを知ってもらうために、接点を作るためにそういう企画をやってみようと今考えています。
―お店をやってらっしゃるということですが、どんなお店ですか。
タオルを売ってます。今治タオルとか信州タオル。ご存知ですか? 今度タオルとギャラリーと並行
して古本屋をやります。
―面白いですね。いろんな人が入ってきそうですね。
おかげさまで、うちの先生の英伸三さんも、私がギャラリーを作ったら「僕の写真飾っていいよ」と
言って下さったんで飾ったんですけど、そこらへんからすごく火がついて、「あそこはいい写真を飾る
ぞ」っていう感じで、奈良市近郊の写真家の間でけっこう評判になったみたいです。展覧会するたびに
それなりに人が集まるようになってきました。嬉しいことです。
奈良っ子、奈良を見直す
―写真を撮り始めて、周りの風景とかが違って見えるようになりましたか?
私って「奈良ってつまんない」と思ってたんです。みんな「奈良っていいよね」って言うてくるんで
すけど、昔からずっと住んでる奈良っ子からしたら「奈良って何も無いよね」って感じだったんです。
鹿もいて当たり前。大仏も大きくて当たり前。なんでみんな鹿を喜ぶんだろう、あんな凶暴なやつら。(笑)みんな凶暴なの知らないから。鹿せんべいやろうと思って囲まれてウワーってなってるの見て
「あーあ、またやってるわー」って感じで。
だから「地元を撮ってみなさい」という「奈良時間」のテーマはすごく難しかった。当たり前のもの
を面白く見るっていう感じは、何て言うんですかね、始めは混乱でしかなかった。「たぶんこう撮っ
たら面白いだろうな」という所を撮ったけど、全部却下。当たり前ですよね。
仕方なく、ちょっと新鮮な気分になろうと思って、法隆寺に行った。それまで行ったことなかったん
です、けっこう近いのに。入場料千円するから入らなかったんです。ちゃんと入って写真を撮るとか、
いろんな所を回ったんですね、奈良の名所と言われるところを。そしたらなんとなくだけど、面白いな
と思い始めた。写真を撮って回ってるうちに「よく考えたら鹿がいるっておかしいよな」と思い始めた
んです。海外に行ったら野生のリスがいるとか、キツネがいるとか喜んでるけど、「鹿みたいにでかい
動物が共生してる土地なんてめったにないんだよ」と言われていたことを「あ、ほんとだ」と思い始め
て。いろんな都心から来た写真家の人を案内して歩いたら、「あ、鹿だーっ!」てすごい喜んで撮って
る姿を見て、「あ、やっぱり鹿って面白いんだ」ということに気づいて(笑)、だんだんいろんなこと
を教わっていくんですね、自分も動いていくと。いろんなものを感じられて。
その中でコロナ禍が起こって、鹿がいつもよりも街中にすごい勢いで増えだしてきたんです。そんな
こと滅多になかったんですよ。その時に「あ、これだ」とやっと撮れるようになったんです。多分地元
を撮るっていう経験が無かったら鹿も撮ってなかったと思います。コロナ下ですごい集団で出てきても、「あ、相変わらずやな、あいつら」ていう感じで見てたと思います。
質感が時間の経過を表す
―SNSで「心象写真とは何か」って書いてらっしゃいましたね。面白く読ませていただきました。もう
少し教えていただけますか。
スナップと違って、「自分の思いを写真にこめて撮る」っていう感じですかね。有名な方はいっぱい
いるんですけど、なんやろ、普通の花なのにそれ以上の思いが感じられる写真。たまに見ませんか?そ
ういう写真。スタイルとか撮り方によって。普通の街並みを撮ってるのに、なんか涙が出てくるような
感じがする写真とか。そういうのを心象写真ていうんです。
―今デジタルで撮られているんですよね。フィルムは?
経験無いんです。
―印画する時もプリントするということですね。そういうのも工夫によって違うものですか? 露出と
か。
私は機械が苦手で、よく初期設定間違うし、感度間違うとかあるんですけど。どちらかというと心象
写真は光とか質感を注意したら表現しやすくなるなと。例えば、新しいビルには惹かれないで、古い町
並みの汚れたところに惹かれるっていうことありません? 空き家でボロくて壊れかけてるけど撮りた
くなってしまう。逆にどんなきれいなビルでも白けてしまう。なんでやろうなと思って、考えているう
ちに、質感て写真でも残ってるものなので、汚れとかは時間の経過とかを表現していると思って。作者
が思ってる以上のものが写ってしまう。
―質感て面白い言葉ですね。
専門用語ですかね、みんなよく言うんです。
―手触りみたいなもの。
手触りとか、なんか人生そのもののような気がしますね。「町の人生」があるんやったら。人間でも
手がしわくちゃやったりとか、お婆ちゃんのしわがすごく魅力的なんですよ。その人の人生を感じさせ
るのが質感かなと思います。
―なるほど。
社会に影響を与えるような写真
―これからもいろいろ写真を撮って行かれると思いますけど、どんな写真を撮っていきたいとかありま
すか。
えーとねー…、実は私は女性ホルモンの関係の病気なんですね。それが更年期が最後で終わりそうな
んです。だからやっと写真に集中する時間が取れるという。今まで体調が悪くなっていろいろ中断する
ことが多かったんです。今でもテーマがあるんですけど撮り切れないところがあって。本当に一番撮り
たいのは社会派ドキュメンタリーなんです。何を撮りたいか、近くに何でもあるんですけど、今でもド
キュメント撮ってるつもりやけど、もっとわかりやすく、社会に影響を与えるような写真を撮りたいな
というのが私の夢なんです。それは日本で、世界に行っても仕方ないのでね、日本で身近なものから撮
って行こうと思っています。それがやっとできるようになる。今までは無理したら倒れたから。できる
ようになるのを待ってる最中です。
―取材に行くのも大変ですからね。
そうなんですよ。すぐ倒れるから。
―私は振り返ってみるとあまり写真展て行ってなくて。
あー、わかります。私もなかなか演劇行くタイミング無くてすみません。
―いえいえ。もっと写真に触れられる機会があるといいですね。
例えばSNSで集めた「あえて顔無し猫ちゃん」は写真集にして送ったんですよ、入賞者に。これも写
真集にしたからこそリアリズム写真集団で評価されたって感じなんですね。
今お地蔵さんの前掛け縫ってるんです。ほんとのお地蔵さんの。赤いの。ちょっと縁があって。それ
を撮って行こうと思って。それも現代を写していると思いました。例えばスマホで撮ったら早いんです
よね。現代のプラスチックの物差しで線を引いて、現代のプラスチックのはさみで切って、チャコペン
使って、針も昔の待ち針じゃなくって。作業風景を撮っただけで現代が写るんだなって感じました。つ
まりそれもあと10年くらいしたら珍しいことになるんじゃないかと思えて。そういう小さいものをチョ
コチョコ撮りながら、大きいものも撮っていきたいっていう感じですかね。
―あくまで日常ですかね。
日常が意外性を帯びるっていうとこまで撮っていきたい。
鹿を大事にする奈良の人々
―この間「視点」を見に行ったら、何点かまとめて展示してある作品が多かったですね。
組み写真ですか。
―単独で展示されているものは。
一枚の物は単写真ていいます。複数の物は組み写真という総称で呼ばれています。
―組み写真は単独で見るよりストーリーが出てる感じがして面白かったです。
元々日本リアリズム写真集団は組み写真が有名なところだからということもあります。理想は一枚で
まとめられたらいいんです。でも今の社会って複雑じゃないですか。一枚だけでなかなか表現できない。その時組み写真で複雑に構成していって、しかもそれが影響し合って、複雑な物語が見えてくる。そのために組み写真という表現の仕方も大事だよという話だと思うんですね。私も組み写真なかなか難しくて。
―「視点」の宮崎さんの写真は「なら時間」のシリーズですね。実に自然に鹿が街中にいて。鹿が自分
のことを人間だと思ってるに違いないっていうくらい自然ですよね。
そうなんですよ。本当にあんな感じなんです。
―横断歩道のところに鹿がいる写真でしたが、鹿も横断歩道渡るんですか。信号の赤とか青とかわかる
んですか。
いえいえ、鹿は横断歩道は渡るんですけど、パッて渡るんで、人間が待つんです。車も、鹿が渡って
る時はクラクション鳴らさないんです、絶対に。鳴らしてびっくりして走ったら怪我するじゃないです
か。それはダメだっていうことで、みんな我慢して待つんです。それで鹿渋滞とかよくなるんですけど。(笑)
―奈良の人ってすごいですね。駆除しようとかいう話にはならないんですか。
ならないです。今ちょっと奈良県知事が維新なんで、駆除するって話になったら、ハッシュタグつけ
て「奈良の鹿を守れー」っていろんな人ががんばってやってます。基本的には鹿信仰っていうのがある
んですよ。ご存知ですか? 茨城県にある鹿島神宮から春日大社に神様を連れてきたっていう白鹿信仰。1300年くらい続いてるんですけど、民間信仰としてあって。鹿を大事にするのは当たり前。フェイスブックに「鹿が植木の葉食べてるよ」って上げたら北海道の人が「害獣ですね」って言ってきたんでびっくりしました。「え? なんで害獣なの?」って思って。よそはそれが普通なんですよね。
—他は農地を電柵で囲って近づけないようにしますけど、奈良は違うんですね。
違いますね。反対にそういうのは許されないっていうのはすごくありますね。「鹿さんは大事にする
のが当たり前だ」って、何でか知らないけどみんな鹿信仰のせいで当たり前に思ってしまっている。刷
り込まれて身についてる。ほんとそうなんですよ。なんでしょう、不思議な共生する街ですよね。
―自動車もスピードが出せないから子どもやお年寄りにも優しい街になる。
あるかもしれませんね。奈良を訪れた人は「奈良の人はやさしい、のんびりしてる」ってよく言う。
へーってこっちは思うんですけど。そういう街になってるみたいですね。
―鹿のペースに合わせてこっちも生活しているからそうなった?
そうとも言えますよね。
コロナ下の街で
コロナ禍までは街の中のほんの一部だったんですね、鹿が通るのは。県庁付近とか。コロナ禍でかな
り広くなってしまって。それでも問題は起こらなかったんです。そこがすごいなとは思いました。私は
鹿を取材して思ったことは、鹿はすごい葉を食べるから、町の人は花を囲って食べられないようにする
んですけど、かといって鹿を駆除しろとか絶対思わへんし、反対に「危ないから保護してください」と
いう感じで。車もどんなに渋滞しても鹿が通り過ぎるまで待つという習慣が身についてますから。優し
い街だと思います。
―そういう風景を思い浮かべるのが難しい(笑)。
そうですか、こっちは当たり前だと思ってたんで。
―演劇の公演で奈良に行っても、部分的にしか見られてないから。
ですよね。奈良はだいぶ変わった街だと思います。なんでかと言われてもわからないけど。ちゃんと
森も山もあるんです。あんまり知られてないだけで。飛火野や春日原生林という世界遺産になってるところがあって、そこにも沢山鹿が住んでるんです。自然と一体となって。質の悪い知事とかが、そこを開発するというので困ってるんですけど。もっと大事にしてほしいと思って。でもやっぱり古い町並みと鹿と人間が共存している町で、今話しながら「そうなんだ」って新しく思いましたし、人間も優しい。それはもしかしたら鹿がいるせいかもしれませんね。
―これだけ観光で人が増えてもそういうところが大事にされてるのはすばらしいですね。
ありがたいことです。今撮ってる写真は、先生と話をして、コロナ下の奈良で鹿を撮ったんですけど、今度は奈良公園で鹿の春夏秋冬を撮って写真集にしようと思っています。それがいつになるか、体調
次第なんですけど。面白くなるんじゃないかなと思うので、よろしくお願いします。
―コロナ下の街の風景ってだいぶ違いましたか。
違いましたね。人がいないし。私は敏感肌なんでマスクできないんで、一番ひどい時でもマスクしな
かったんです。そしたらすごい睨んでくるんですよ。空気が違うなと思って。でもそれは私気にならな
くて、みんなほんまに余裕が無いんだな、仕方ないやと。もちろん電車とか車の中ではしますよ。外は
関係ないって言われてたからしなかったんだけど、それでもギロッと睨んでくる。優しい奈良市が冷た
くなった瞬間ですね、あれは。
―日本全国だいぶ変でしたね。ヒステリックになってた。
良かったのはリモートが発達したことですよね。私はリアリズム写真集団で理事やってるんですけど、奈良やからなかなか参加できなかったんですよ。それがリモートで参加できるようになったから、「
意見ゆうてや」て言われていろいろ意見言って、けっこう通るんですね、なんだかんだいって。そうい
う風にやっと奈良でもハンデが無くていろいろできるようになったなってうれしさがあります。一時東
京行った方がいいのかなと思ったこともあったんです、写真家やるんやったら。今やったら奈良でもで
きるんやないかなって思ってます。
―ありがとうございました。