ぶん文訪問記⑧ 2023年2月21日
霞香(かこう)さん 新日本歌人協会
オンラインで約束の時間に現れた霞香さん、まるで少女のように若々しく可愛らしい方ですが、書道歴は30年というつわもの。短歌を始めたのは最近だそうですが、表現者としての強い思いを縦横に語って下さいました。聞き手はいつもの東京芸術座の森路敏さん。記録係は新劇人会議の福山啓子です。
書道から短歌へ
―歌を30首読ませていただきました。本当に様々な、生活のちょっとしたことから戦争を思わせるものまであって、すごく新鮮に読ませてもらいました。短歌に興味を持ったのは書道からとお聞きしましたが。
霞香 もともと書道を3歳から習っていまして、楷書や行書や、草書などいろいろ文字の種類があるんですけど、その中に仮名文字という学科がありまして、昔の方が百人一首で書いているような言葉で五七五七七で書かれている言葉があったんです。これはなんて書いてあるのかなと思ったのがきっかけで短歌に興味を持ち始めました。
―万葉仮名とか、崩してある文字?
霞香 そうですね、崩してニョロニョロと書いているような字です。
―それはいつ頃?
霞香 一年半前です。仮名文字はその前からやっていたんですけど、本格的に短歌で仮名文字をもっと知りたいと思ったのは。
―それまでは歌を作ったりはしていなかった?
霞香 はい。俳句は地域柄(愛媛県松山市)、授業で習ったりしていたんですけど。短歌は自分の中で固くて古いというイメージがあって。現代はいろんな趣味を自由に選択できるじゃないですか、テレビゲームとかいろいろ。だから短歌というところに行きつかなかったんですよ。でも仮名文字を習っているんだったら短歌をやってみようと思ったのがきっかけです。
―文字から入るというのは面白いですね。30首読ませていただいて、いろいろ面白い歌があって。4番目の歌、
吐いた息パクッと食べて「綿菓子だ」はしゃぐ娘の朝の通園
霞香 ああ(笑)、子どもの通園の歌ですね。
―無邪気な姿が思い浮かびます。その次の春菊の歌も。
春菊を入れるか否か家族会議湯気たつ水炊き暖まる心
―「家族会議」と「暖まる心」というのが対照的な言葉で、すごく面白く読みました。
霞香 ありがとうございます。
―3歳から書道を始められたそうですが、そのきっかけは。
霞香 親に勝手に連れていかれてたんです(笑)。気づいたらやってたんです。好きなのか嫌いなのかと思う時期もあって、一度書道から離れたこともあったんですよ。もともと料理を作るのが好きで、みんなが進学とか就職とか悩んでた時期に、書道から離れたいと思って調理師学校へ行ったんです。でもその間も書道とか仮名文字が頭の中にあったことはあった。女性の環境の変化で、調理の仕事を続けるのが難しいなと思った時に、本格的に書道をやってみたいなと思ったのと、短歌をちょっとかじったら、自分の中で5音と7音で表現することがとても楽しくなってきたので、短歌の方も続けさせてもらってるという感じです。
様々なテーマや題材で
―短歌が出来上がる過程を教えてください。秘密なのかもしれないけど。
霞香 (笑)私今まで、例えば雨の音って「ザーザー」とか、「ポタポタ」とか、そういう表現だけだと思っていたんですけど、短歌を作るようになって、雨の音をそういう風に表現するのは楽しくないなって思う時があったりするんです。そういうことから歌が出来ていく感じですね。「雨が降ってるザーザーと」と表現するんじゃなくて、「雨が降ってるからどうしたいか」と自分の頭の中でつなげて作っていく。
―31文字と限られているからか、読む方もいろいろ想像できると思って読みました。15番でたぶんウクライナのことを歌っていますね。
銃向ける兵に老女は「隠し持て」死んで花咲く向日葵の種
これはストレートにうたれました。自分の身の回りの密接な世界は短歌にしやすいけど、なかなかこういうテーマを短歌で扱うのは難しいんじゃないかと思うんですが。
霞香 言い切りたいことはハッキリと読み手に伝わるように表現しようと思ってるんですけど、その後の余韻を残す、言い切らずに、読んだ人が「ああ、こういう歌なのかな」って思うような歌を作っていこうと思っているんですよ。この15番の戦争の歌は言い切りたいのでそのままサクッと歌わしてもらったんです。
―でも余韻もあるから読み手の心をくすぐるというか、戦争がダメだということは言外に伝わるという感じですね。
モチーフとして好まれているのに「ドロ蜂」というのが出て来ますね。僕は全然知らなかったんですけど。
ドロ蜂はただ一匹で生きてゆく強さはやさしさ攻撃しかけぬ
ドロ蜂の母の強さのない私寝ている子らを抱きしめている
霞香 (笑)ああ、ドロ蜂。
―親子関係が特徴的なんですね。
霞香 ドロ蜂は普通の蜂と違って、雌一人で育てるんですよ、子どもを。いわばお父さんがいないシングルマザーの状態なんです、人間で言ったら。そのドロ蜂の強さは私にはないし、尊敬する部分もあるなと思ってドロ蜂をモチーフにして短歌を書かせていただきました。
日本語のすばらしさを伝えたい
―歌に関わっていて、地域の人たちや子どもたちと関わる仕事がしたいということですけど、そういうことに目が向いたきっかけはありますか。
霞香 私もともと子どもが少し苦手だったんですよ、子どもを産む前は。でも子どもを産んで育てていく過程で成長が見えたりするのがうれしくて。近所の子ども達にも「おはよう」と言われたりするのがうれしかったりする瞬間が何回もあって、近所に顔見知りの方がだんだんできていって、もうちょっと関わりたい、どういう仕事があるんだろう、子どもからお年寄りまで自分が関われることは何だろうと考えた時に、自分が長年やってきた書道を活かしたいという気持ちになりました。
―それに関連して歌の仕事も。
霞香 はい。日本語のきれいさとか悠長さみたいなことを知るきっかけが短歌だったんですよ。最近の言葉で「ウザイね」とか「マジヤバいね」とかいうのがありますけれど、子どもたちと接する機会が多くなったら、やっぱり短歌を通じて日本語のすばらしさを学んだので、そういうのも一緒に伝えていきたいなと思っています。
―すばらしい。それで思い出したんですけど、これはドキッとしました。2番目の歌。
目を見ずにスマホで話す若者に追い打ちのマスク顔パンツなり
霞香 ああ。(笑)今って、スマホが当たり前じゃないですか。人と会食する時とか、久しぶりの友達と会うことになっても、ずっとスマホをいじったりする方もいらっしゃるじゃないですか。そういうのが面白くないなと思ったのと、コロナが始まってマスクを付けなくちゃいけない生活になって、それもかけて歌わせてもらいました。
―僕は芝居でマスクを付けたまま稽古をするので、目とかは見えるんだけど、人の表情ってそれだけじゃない。外で人に会っても「あれ、あの人だよな」って確信が持てないのが居心地が悪いというか。
霞香 もともと目を見ずに話をするようになっていて、SNSのやりとりとかLINEとか、大事な会話を目を見ずにやってる世の中なのに、コロナが始まって「口まで隠すんか」という歌です。コミュニケーションがほんとに取れなくなってきたなって。
―これもドキッとする歌ですね。
制服の紅いリボンが首締める偽りの生だと十五歳(じゅうご)の友は
15歳の当時のことを思い出して歌われたんですか?
霞香 私の友達にいわゆるジェンダーレスの人がいるんです。女に生まれたんだけど気持ちは男になりたい。幼馴染で、小学校6年の時に初めて打ち明けられたんです。でも中学校になったら既定の制服じゃないですか。女は赤いリボンを締めなさい、男は学ランを着なさいと。それが苦しいと三年間毎日話されたんですよ。12歳で小学校卒業で15歳で中学校卒業だったんだけど、その間誰にも言えずにいた彼女の歌を歌いました。今は偏見も減ってきてるかもしれないですけど、当時はまだそういうのがあって。
―今でも偏見はなかなか無くならないですね。ホットな話題ですね。僕は短歌は詳しくないですけれど、こんなにいろんなバリエーション、色彩で一人の作家が歌えるんだとびっくりしました。
霞香 ありがとうございます。「つれづれなるままに」っていうようなのが短歌だと私も思ってたんです。難しい言葉で歌わなければいけないのかなって。短歌を知るまでは。その中で俵万智さんという方がいて、「サラダ記念日」という本を出しているんですけど、その方とか枡野浩一さんという男性の短歌を詠む方がいらっしゃるんですけど、その二人が現代語や口語調が中心で、話し言葉で作品を詠んでたんですね。それで「なんだ、ちょっと簡単だな」って思ってしまったんですよ(笑)。31音というルールさえ守って誰かに何かを伝えるんだったら、口語調で私も歌ってみようかなと思って歌わせてもらってます。
―私も俵さんの感覚に近いのかなと思っていました。
霞香 季語とかを入れなければいけないのかなとか、短歌を始める前は思ってて。切れ字という最後の文字、「○○なり」とか「○○れば」とか、そういうのを絶対しないといけないのかなと思って取り掛かりにくかったんですけど、実際勉強してみたら全然そうでもなくて。
―古典的なものだと思いこんじゃうんですね。
霞香 そうですね。でもいろんな詩人の本を読ませていただいたら、現代の言葉で話していたり、それを短歌にしたりしていたので。もうちょっと気持ち柔らかく私も取り組めそうだなと思って短歌を歌わせてもらっています。
―気持ちを柔らかくというのは霞香さんの歌全般にあるような気がします。
霞香 (笑)ありがとうございます。
百年後まで残る歌を
―これから短歌と書道と、どういう風に取り組んでいきたいですか。
霞香 きっかけは書道の仮名文字から短歌に入ったんですけど、以前書道をしている先輩たちと、国立美術博物館に書道の作品を展示させてもらう機会がありまして、その中で自分の作った短歌を作品に入れてみようと思って、筆で書いたんです。自分の好きな書道と短歌をコラボできたことがうれしくて。そういう作品を将来に向けて沢山作っていきたいと思ってますし、百年後くらいでも読まれるような短歌づくりもしていきたいと思っています。
―霞香さんの短歌が筆で書かれたものがどういう印象になるか、見てみたいですね。
霞香 ありがとうございます。作品自体はあるんですよ。別の部屋にあるんで取って来ないと。
―見せていただけますか?
霞香 わかりました。(取りに行く)これは短歌ではないんです。書道は左から読むんですけど、「喝采」です。
―ダイナミックですね。
霞香 これは歌手のちあきなおみさんをイメージして書きました。
―ああ、なるほど。
霞香 (笑)あの歌を聴きながら、どういう気持ちだったんだろうということをイメージしながら書かせてもらいました。次が短歌の書です。豆苗の歌なんです。
―はいはい。これは確かに堂々としてますね。
切られても堂々と伸びる豆苗は太陽への敬意忘れぬらしい
霞香 最近まで先輩方とちょっと大きい作品、これの5倍くらいある作品を展示させてもらってたんですけど、まだ作品が返ってきてないので。
―すばらしい。作品をお店や自宅に飾りたいという方もいるんじゃないですか。
霞香 そうですね。でも全部思い出深い作品なので、大切に自分で保管しておきたいなというのはあるんですけど。(笑)でもいつかまとめて個展を開いたり、もっと短歌を作品で表現してみたいなと思っています。
―やっぱり見ると違いますね。字面だけじゃないというか、筆で書かれた勢いがあるから、それと合わせて歌の内容が来るんですね。
霞香 ありがとうございます。
新日本歌人協会との出会い
―短歌はお一人で作られているんですか。それとも身近に一緒に作ったりする仲間がいらっしゃるんですか。
霞香 短歌について全く何も知らない時に、私の叔母に相談したんです。今70歳くらいなんですけど、「短歌知ってる?」みたいな感じで聞いたら、「私は愛媛の新日本歌人協会ってとこに入って短歌歌ってるよ」って言われて、その方に短歌の勉強をさせてもらって、そこから新日本歌人協会を紹介されてそちらにも入らせてもらいました。
―お互いの歌を読みあったり、合評したり。
霞香 はい。月に一回歌会っていうのをやってるんですよ。60歳から90歳くらいの方と一緒に自分が作った歌を発表しあって意見を言い合うっていうのをやらせていただいてるんです。人生の先輩方なんですけど、共通の趣味を持った友達みたいな感覚で知り合うことができました。短歌をやり出して様々な年代の人と友達になれたのは、友達っていうのはおかしいかもしれないけど、うれしくて、やってて良かったなって思います。
―なかなか無い経験ですね。
霞香 きっかけがないと。若い人は「絶対に短歌って行かんよね」っていうとこだし。私も短歌はお年寄りの趣味みたいな認識でしかなかったので。実際やってみたら実はそうでもなくて、とても勉強になることがいっぱいあって。
80歳くらいの方がおっしゃってたんですけど、「日本語というのは、ほんとに胸に響く言葉は5音か7音で作られてるのよ。演歌って日本の歌だよねって言われるのは、歌詞が全部5音か7音で作られてるからなのよ」って。
確かにそうだなと思ったんです。人にほんとに何かを伝えたい時は、私も意識して、5音か7音で口頭でも伝えてみたいなって思ってますし、大事な事とかはほんとに5音か7音で出来てるなと思いました。例えば、ちょっとクサイかもしれないんですけど「あいしてる」とか。「君が好きだよ。何々でどうたらこうたらだよ」ってずっと言われるより、この5音で「あいしてる」って言われた方が人の記憶に残る。日本人はそうやってずっと5音か7音で伝えあってきたから日本語はこれからも大事にしてほしいなってことを、その愛媛の新日本歌人協会の方から勉強させてもらいました。
―霞香さんの作品に若い人が触れて「私も歌いたい」って思う人が出てくるといいですね。
霞香 (笑)ありがとうございます。そういう短歌好きの方たちと関わっていったら、すごく熱心な思いで取り組まれてる方が多くて。私も昔の人が作ってくれた歴史を絶対止めたくないなっていう思いはあるんですよ。ですから短歌って確かに今の人たちはきっかけがないと入りにくいし、「絶対こんな面白ろないやろ」って思われてるのはわかってるんですけど、一人でも二人でも日本語のすばらしさに触れてほしいなと思っています。紙とペンがあれば何でもできるし。それだけで様々な年代の方と知り合えていろんな話聞けてとっても勉強になるので、短歌っていうのは素敵だなってほんとに思ってます。
―性格みたいなものもお互いに透けて見えるところが素敵ですよね。
霞香 読んでいったら作者の生活の背景が見えてきますよね(笑)。
―僕らも役者だから、いろんな架空の人物にその人の生活みたいなのをくっつけていく仕事だから、それがないとあまり感動って無いんじゃないかという気がします。
霞香 ほんとそうですね。伝え方は様々ですけど、生活でほんとに苦しかったり嫌なことがあったからこそこういう風に表現ができるっていうことは大切にしたいと思います。
言葉の力のすごさ
―読んでる人に励ましになるのは、苦しんでる時に同じように苦しんでる人がいるとか、こういうことがあるのかって知ることですね。そういうことを大事に表現活動に向き合いたいなと僕も思っています。平易なことばでも簡単に詠んでいるわけではない、そういうところが心を打つのかな。
霞香 歌会で「この本読んでみて」って言われた本があったんです。尾上まさかずさんの「疼き」っていう本で、その方はもう亡くなってしまったんですけど、14歳で満州に渡って、マイナス50度のところで、戦争ももちろん体験した方で、その人が14歳から死ぬまでの自分を歌ってる本を出してたんですね。出したのはその人じゃなくて周りの方が「これは後に伝えていかなあかん」という思いで出したみたいです。
その方の本にすごく感銘を受けました。もう日記を読みよる感覚なんですよ。もちろん苦しいことも、31音にして書いてるんですけど、90歳くらいまで生きて、90歳の時に「それでも僕はまだ生きたい」と歌ってるんです。14歳で戦争で死ぬ思いをした歌も詠ってて、そこから90歳で死ぬまで、日記のように書いていて、「これは言葉の力ってほんとにすごいな」と思いました。小説ではなく短歌で、5音と7音でずっと作っていったんだなとすごく感激して、私もそういう風な歌い手になってみたいなと思いました。生きる希望が言葉の力によって出てきたので。苦しいこととか悲しいことがある方に向けて私も作っていってみたいと。
―歌は短いから、縁遠いかもしれないけれどいつでも手に取れるしいつでも詠める。
霞香 そうですね。やっぱり拠り所になったりするんですよ。「ああ退屈だな」って思ったら「5音と7音で言葉遊びしてみよう」とか。「あーしんどいな、つらいな」と思っても、それをちょっと頭の中でこの瞬間短歌にしてみようかなと。そっちに転換できるので、それも短歌の魅力の一つかなと思います。
―両面あるんですかね、表現者にとっての表現って。もちろん誰かに伝えたい、誰かの励ましになればということもあるし、表現することで癒されることもある。
霞香 人って多分何か自分の生きた証を残したいと思ってると思うんですよ。短歌であろうと演劇であろうと、表現の仕方が違うだけで、自分も癒されるし、後に残るし。楽しいことがあったことの証とか、悲しいことがあったことの証を、短歌っていう形で私は残したいと思っています。
―何も意識しなければ瞬間瞬間消えていく日常をね。
霞香 「短歌は一瞬をとらえろ」って言われたんですよ、短歌好きの人たちに。「その物事の一瞬を捉えろ」。例えばこうやってお話していて、この言葉が胸に響いたという言葉も、真剣に話を聴かないと捉えられないんですよ。私は短歌を始めて、見るものとか聞くものとか、ものすごく真面目に見たり聴いたりするようになりました。
たとえば「リンゴって赤いよね」「信号って赤黄青よね」っていうけど、「ほんとにこれって青なんかな、赤なんかな」「猫ってほんとにニャーニャー鳴きよんかな」って。「周りからの情報だけじゃなくて、ちゃんと自分が目で見て確かめて感じたことを短歌にしてみよう」とか。物事に真剣に取り組むようにもなりました。
―素直に物事を見るってなかなか難しいことですよね。今、情報がふんだんにある中で自分の生の目で見るということが衰えている気はします。
霞香 そうですね。最近ですと、ご飯が出てきて、まず先にスマホで写真を撮って、SNSにあげてからご飯を食べる。それってホントに記憶に残ってるのかな、人として本来の大切なものを失っていっていないか、便利さゆえにって思ったら、ちょっと悲しい気持ちになったりする時があるんですよ。なので57577でそういう歌も詠っていきたいと思ってますし、「今こういう時代だったんだよ」っていうことを百年後の人たちが私の短歌を見たら「え、こんなんやったんや」って思うような短歌も作りたい。やっぱり一瞬を捉えないといけないって感じですね(笑)。
―一瞬の心の動きですよね。本当に心の底から「ああ、おいしそう」って思って食べてるかという問いかけですね。
霞香 自分よがりになりすぎて面白くないなって思ってるんですよ、最近のSNSとか。簡単に人の悪口書けるし、簡単にいろんな人の写真撮れるし。事故現場があっても、「大丈夫ですか」って命を先に大事にするんじゃなくて、大体みんなすぐ駆けつけずにビデオ撮ってるし。皮肉りたくないんですけど。やっぱり人の心を大事にして歌を創っていきたいと思っています。なかなか短歌づくりは難しいんですけど、楽しいことも、「なんかこれ違うんじゃないかな」っていうことも表せるので、頭の中で考えて創っています。(笑)
―短歌は自分が作りたいから作っているわけだけれど、きっと難しいですっていう言葉の中にはいろんな社会の仕組みだとか、愛だとか、そういうものが含まれているんですね。
霞香 そうですね。読み手がどう思ってくれるかなってことを考えながら作ってる時もあるんですよ。基本自分の気持ちで詠んでるんですけど、それを読んだ方がハッとさせられたりとか。「本来人間ってこうだったよな」って懐かしい気持ちになってもらったりすることも心掛けて詠ってはいます。それも人が残したいい文化を残したいと思ってやっているんです。なんでもかんでもスマホだけじゃ楽しくないなって。それだけで人も死ぬし。それだけで落ち込む人も、それだけが評価の人もいるし。それってほんとにそうなんかなって。もっと目を見て話したり、もっときれいな日本語で人のことを詠ってみたり。私はそういう風にしていきたいなって思っています。
―僕もそうありたいなと思ってるけどなかなか(笑)。生活半分が情報社会の中で生きてるから、なかなか乗り越えられない。
霞香 そうですよね(笑)。ついつい見てしまいますもんね、目の前にあったら。
31音ですべてを表す楽しさ
―霞香さんの作品はバランスがいいなと思うんです。芸術は芸術だという人もいるけど、社会のことを詠ってもその中に表現者としての自分がいるからストレートに届く。それと自分のほんとうに身近な世界のありふれた感動を詠う歌もあって、すごくバランスがいいというか。
霞香 ありがとうございます。一つのことだけにとらわれて詠うんじゃなくて、自分が感じたこと、思ったこと、経験したことっていうのを、詠っていったらこういう感じになってしまったんですよ(笑)。子育てなら子育ての歌だけ詠ってればいいのかもしれないんですけど、やっぱりそれだけにはできなくて。
―自分がこういう歌をつくりたいって凝り固まってしまうこともある?
霞香 そういう時は散歩に出たりするんですよ。何か行き詰ったり、アイデアが全然浮かばない、芸人じゃないですけど「ネタが無い」って思ったら(笑)。散歩に行って雑草を見たら、テントウムシがいたり、バッタがいたり。それを観察したら歌になったり。虫の研究もできるし。虫の話は子どもにできるし、短歌は作れるしっていうんで。そんな感じで工夫して歌わせてもらってます(笑)。
―新鮮な気持ちでね。
霞香 桝野浩一さんという40代の男性の方が詠ってる歌で、「ツイッター フォローさせるは選べない 愛を強要できないなんて」っていう歌があるんです。短歌でもツイッターとかインスタとかYouTubeとかを詠ってる歌人さんもいるので、そういうのもとても勉強させてもらってます。
―本物に触れられる、自分がそのものを見て、触れて、匂いを嗅いでという風になかなかいかないから。短歌にはそういうものをもう一度蘇らせる力があるんですね。
霞香 短歌を作り始めて、見るものすべてが新鮮になったので、退屈しなくなったんですよ。退屈な時間も何か探してるので。フライパン見ただけで歌の材料になるし。家の中にいても、寝転がってるだけで、寝転がってる自分から短歌ができていったりするので。ポエムを書いたり歌の歌詞を書いたりとはちょっと違うから、難しく思われる方が多いんですけど。31音ですべてを表すっていうことが私は楽しいなと思ってます。
―あらためて、いろんなことを作品に投影できるし、いろんなことを想像できるなって思いながら読みました。
霞香 ありがとうございます。
―書道と短歌の共通点と、違うところってどんなことでしょう。
霞香 書道では文字で自分を表現しないといけないので、どうしても同じことをずっと考えてしまうんですよ。さっきの「喝采」という文字でも、ちあきなおみさんの歌を題材にさせてもらったんですけど、そればっかり聴いて「喝采、喝采」って何千枚も書いた中の一枚を出さないといけないんです。だから書道っていうとなんか凝り固まってしまうんですけど、その中でも自分が気に入った一枚を出して誰かに見てもらうっていう表現の仕方が書道の良さだと思ってます。短歌の表現の仕方では31音に自分の言いたいことや思いを乗せなければいけない表現の仕方なので、短歌はいろんな考えで凝り固まらないなと。そこが違いかなと思います。
―日展で一番応募が多いのは油絵ではなく書道だそうですが、今書道は広まってきてるんでしょうか。
霞香 私はこの4月から小学校で書道を教えることが決まったんですけど、放課後なので、英会話を習いたい人、書道を習いたい人、スイミングを習いたい人って選べるんです。その中で書道が一番生徒数が多すぎて、募集を止めてるというのは聞いたんです。書道をこれから学びたいとか、習字っていうのをやってみたいという話を聞いたんで、私も「え、書道って今需要あるんやな」ってびっくりしました。
―短歌はどうでしょう。短歌甲子園があったり、漫画になったりもしていますが。
霞香 私の周りの友達は私と同じような考えで、「きっかけがないとそんなの始められないよ」って。「意味がわからないし難しいし、季語とかいるんやろ」って、そんな感じなんですけど。地元の大学で短歌サークルができたとか、10代20代の子が集まるクラブができたっていうのは最近聞きました。なので増えていってるんではないかと思いました。
 でもやっぱりきっかけがないと取っかかりにくいっていうのはあると思います。
―霞香さんはSNSで作品を発表したりしていますか。
霞香 それがやってないんですよ。(笑)SNSは登録はしてるんですけど、作品出したりとかは。評価を気にしたくはないんですけど、自分が愛着がある作品なので、いいことはあんまり書かれないけど、悪いことはいっぱい書かれたりするので、作品をあまり出したくないなって思ったり。でもそれも意見なのかなと思ったり。SNSに出してみたいなと思ったりはするんですけど。
―なかなか付き合い方がね。難しい。毎日更新しないと誰も見てくれないとか。そこまでそこに力を避けるか。無限に広がっていくといろんな意見の人がいるし。どこまで責任を負えるのかとか。
さて、あっという間に1時間がたってしまいました。今日はありがとうございました。
霞香 ありがとうございました。