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ぶん文訪問記⑨新俳句人連盟
ぶん文訪問記⑨新俳句人連盟 佐藤えつ子さん
6月6日、新俳句人連盟の佐藤えつ子さんにご自宅近くでお話を伺いました。 わざわざ公共施設を借りて下さり、お父さんの佐藤信さんも同席されて、静かな環境でゆっくりお話を聞くことが出来ました。佐藤えつ子さんは、俳句だけでなく、押絵と日本刺繍もやっていて、素晴らしい作品を沢山見せていただきました。聞き手は東京芸術座の森路敏さん。記録係は新劇人会議の福山啓子です。 添え書きの面白さ―作品を読ませていただきましたが、映像が見えるようで、ちょっと滑稽というか、クスリとするような表現がありますね。 佐藤 家族にはよく「お笑い俳句」と言われています(笑)。―あらためて俳句に触れて、これだけ短い文の中でも作者の対象に対するまなざしみたいなものが感じられました。俳句の力っていうんですかね。まず俳句との出会いからお聞かせください。 佐藤 自分から俳句に興味を持ったわけではなくて、ちょっと具合が悪くて家で療養していた時に、父から「俳句でもやってみないか」って言われて、父のやっている「どんぐり」という俳句の会に出させてもらった時期があるんです。そういう時に句会の皆様にすごく良くしていただいて、そういうのが楽しくて行ってました。だから俳句やりたいっていうよりも、よくわからないけど楽しそうだから、何か作ればいいかなというすごい不純な動機なんです(笑)。 ―俳句だけじゃなくて、添え書きの文章が面白いんですよ。たとえば句集「かながわ」の30周年の。「とにかくなんでもいいから」とそそのかされ、それじゃあと安うけあいでホイと出句したのですが、やっぱり何かとんでもない所に顔を出してしまったような気がしてなりません。 佐藤 そうなんですよ。ほんとのこと言うと、俳句よりも句会の二次会でみんなでけっこう飲み食いしながら「しりとり俳句」とかやって、下の5句と上の5句をつなげて、次の人に回すという、そういう遊びの方が面白くて。あんまり文学とかそういう感じじゃなくて、ほとんど遊び感覚で、勉強してやろうなんて思ってなかったんで。 ―「かながわ」の40周年の句集の添え書きも面白い。 努力します。精進します。頑張ります。と言ってはみたものの、本当でしょうか。「ほどほど」っていい言葉ですね。全部、ほどほどって付けておきます。ごめんなさい。 佐藤 けっこう俳句仲間の方ですと、ちゃんと本読んで勉強してたりとか、「こうだこうだ」と俳句論を熱心に語っている方とかいるんですけど、私そういうの全然読んでないんですよ。父が一応俳句をやってますから、俳句って五七五があって、季語を入れて、あと「観察に徹しろ」とは言われたんです。「自分の感情を入れないで、見たまんま詠めばいいんだ」ってそれしか言われてないんで。あと細かいルール全然知らなくて。じゃあ適当に詠んじゃえばいいやって、なんかそういうノリなんで、こんなインタビューとか受けちゃっていいのかと(笑)。遊びの一環としか思ってなかったんで。はい。すみません。 ―なんか共感するんですよね。なんだろう、もちろん俳句を立派な芸術としてとらえて立派な句を詠んでらっしゃる方もいるし、それはそれで尊いことだと思うんですけど、佐藤さんの句には読んで思い当たることとか、ふっと引き付けられるものがふんだんにある気がします。 佐藤 私がよく投句させてもらってる「俳句人」とか、政治的な句を詠んでる方とかけっこういるんですけど、私は「無理だな」と思って。なんか目線が違いすぎて、逆に私は目の前のことしか詠めないというか、あんまり大きいこと言われちゃうと「わかんない」と思ってパスしちゃってる。結局身近なことばかりになっちゃうっていう感じなんです。ほんとに遊び感覚しかないんで。頑張ってる方、勉強してる方に申し訳ないなみたいな気持ちもあるんです。読む人が共感する句 ―どういう時に句が生まれるのか、どういう風にできていくのか。答にくい所もあるでしょうけど。 佐藤 そんな考えてないんですよ。いつも「俳句人」が〆切が10日で、俳句誌「童子」にも出させてもらってるんですけど、そっちの〆切が25日なんですよ。その締め切り間近になると、何となく思い出したこととか、どうだったかなと、まあ、その場で適当に考えた、目の前であったこととか、それを詠んで書いて、父に「提出しといて」って渡すだけなんで(笑)。すいません、ほんと全然考えてないんです。 ―でもすごく読む人が共感するものがあると思うんで。 佐藤 共感ていうか、ごくたまに句評とか出てるんですけど、いやもうみんなほんとに好き勝手に詠んでるから、私も別にその場で作ってるくらいの感覚でいいのかなみたいな。感覚が軽いんですよ、すみません、ほんと。 ―これも面白いですね。土管から顔だけ出して食う金魚―普通は土管から顔を出すというとドジョウかなと思ったりするけど。 佐藤 うちで飼ってる金魚なんです。 ―印象的なのは、私は知らなかったんだけど、茅の輪くぐりの句がありましたね。 佐藤 6月の句ですね。 腰痛に負けじとくぐる茅の輪かな ―繰り返し出てくるモチーフも。 Tシャツの黴や点描めきて生え 点描と間違えられるシャツの黴―こういうのクスリとさせられます(笑)。 佐藤 (笑)生活感丸出しで恥ずかしいですけど。 ―いや、そういうところがいいですよ。 佐藤 「四月馬鹿」もよく作ってます。毎年作るんですよ、面白いから。 政策のレベル異次元四月馬鹿 髪の毛の量は変わらず四月馬鹿 佐藤 あと「木の葉髪」も。 襟立ててホームに並び木の葉髪 佐藤 家で飼ってる金魚とか、なんかそこらへんの野鳥とかをよく詠んでます。 一斉に鳥鳴く声や夕立晴 残されし実に次々と小鳥来る ―こういう俳句を作る方に聞くのは難しいんですが、自分にとって俳句を詠むってどういうことでしょう。 佐藤 そういうことはほとんど考えてないんで(笑)。というかとりあえず〆切に間に合うようにがんばろうというくらいですかね。句会で「しりとり俳句」「袋回し」 ―「俳句人」で集まりみたいなことはやっているんですか。 佐藤 「俳句人」の方は私は全然顔を出していないんですけど、父がやっている趣味の「どんぐり」っていう方だけ。今はちょっと出てないんですけど。 ―「どんぐり俳句会」ってどんな会ですか。 佐藤 それは父に聞いた方が早い。 佐藤信 「どんぐりの会」には10人位の句会がいくつかあります。会報も出していますがどの会も好きな句の評が載っています。 ―若い方っていらっしゃいますか。 佐藤 いや、ほとんどお爺ちゃんお婆ちゃん。私逆に、若い人ってみんな元気だからわりと苦手なんですよ、同世代って。あんまり体強くないんで、お爺ちゃんお婆ちゃんといろいろ話してた方が。わりと古い人間なんで(笑)、気が合うっていうか。若い人はほんと苦手です。話が合わないっていうか。 ―しりとり俳句はどういう風につなげていくんですか。 佐藤 五七五で詠んで、下五句を次の人が上の句に持ってきてという。 ―あー、なるほど。そういうのがあるんですね。 佐藤信 もういろいろやってますから。「袋回し」っていうのもあるんです。 封筒の表に、それぞれが題を書くんです。季題のこともあるし、例えば今だったら生茶とか書いて、袋を回していくわけです。全員が生茶で作っていく。次のが回ってくると違うことが書いてあるからまたそれで作っていく。それも遊びの一つです。袋の中に短冊でいれていくんです。全部一通り回ったら開けて、点をつけて。 佐藤 こういうことばっかりやって遊んでいたから、あんまり俳句が文学って考えたことない。俳句は遊び、みたいな。(笑) ―素敵ですね。 佐藤 素敵ですかね。 ―いいんじゃないですか。佐藤 私俳句だけじゃなくて、絵の勉強、イラストレーションの勉強とかしていたことあったんですけど、いろいろ競争も厳しい世界で、ほとんど仕事にはできない。よっぽどじゃないとそれだけで食べていけない。そういう経験しちゃうと、遊びとか、今も刺繍やったり絵を描いたりしてるんですけど、全部遊びでやっちゃえという感じでやってます。仕事は仕事ですけど。 ―この「かまくら」の表紙絵も佐藤さんのですよね。 佐藤 はい。一応趣味で日本刺繍をやってるんです。着物によく絹糸で刺繍しているあれ。絵も描けるんで、和裁も修行してたんですけど、体壊してやめちゃって。結局、「何か」にはなれてないんですけど、組み合わせてなんか遊べたら楽しいなと思ってずっと趣味でやってるんです。だから何やってもプロになろうとかじゃなくて「遊びでいいや」みたいな。だからあんまり考えなくなっちゃったのかもしれません。 ―読んでて確かに楽しそうです。 佐藤 逆に仕事だったら全然そんな好き勝手できないじゃないですか。 ―制約がいろいろ多くなってくるかもしれませんね。 佐藤 仕事と言われたらすごい一所懸命勉強しなきゃいけないでしょうね。でも私そうじゃないから。そこまで勉強できるほど体力もないし、しょっちゅう具合悪くなってるから。遊び感覚でなんでもやってないと体がもたないなと思って。刺繍とかもちょこちょこ作っていて、父に「持って行ったら」と言われて今日持ってきてるんですが、良ければ。 ―ぜひ拝見したいです。美しい押絵と日本刺繍 佐藤 刺繍だけじゃなくて、押絵、羽子板によくある、押絵と組み合わせて作ってるんです。これが一番大きい作品で、宮城県の雀踊りっていう踊りがあるんですけど、これは古典文様で、雀踊りっていうのがあったんで、それでお正月に作ったら面白いなと思って作ったんですけど。 ―面白いですね。顔が隠れているのがまたかわいい。 佐藤 風景印っていって、地方ごとに郵便局で地方の産物とかお祭りとかいろいろ書いた消印を押してくれる。それと組み合わせてずっと作ってきたんですけど。 佐藤信 全国のを集めた。 ―あー! なるほど。 佐藤 この印が宮城県の印で。 ―青葉城ですね。 佐藤 風景印と組み合わせて小さいのをずっと作ってきたんです。これは東京町田市の小山郵便局の印で、縄文土器が書いてあるんですけど、この波みたいな模様を水に見立てて、町田の境川ってカワセミがいるんで組み合わせて作ってみました。お祭りで売ってたコースターを台にして。 これは多摩にある三匹獅子舞、舞はもう絶えちゃったんですけど、獅子舞のお面が残っていたので資料を見ながら作ってみたんです。 ―材料は古い着物とかですか? 佐藤 それもあるし、百均で買ったレーヨンの縮緬風の布とかいろいろ。百均は千代紙とか、かわいいのをいろいろ売ってるんでしょっちゅうチェックして。百均ヘビーユーザーです。端切れは骨董市とかで安くまとめて400円とか500円とかで売ってるので、そんなにお金をかけなくても作れちゃうんです。お金をかけないのを信条にして。最近は年賀状も押絵で作っています。 ―押絵の年賀状なんてもらったら楽しいでしょうね。 佐藤 けっこう喜んでくれてます。20枚くらい。だんだん引っ込みがつかなくなって(笑)。「来年も作るよね」とか知り合いに半分脅されて。今年の年賀状の押絵は部品が50パーツくらいあって、自分でも凝りすぎたかなと。やってみたくなっちゃうんですよね。観察に徹しろ ―僕はお芝居の世界でひょんなことからやり始めて、楽しいはずなのに慌ただしくなったり。かえってこういう句を読むと「ああ、こういうのでいいんだ」と思いますね。 佐藤 いいかどうかわからないですけど。自分の状況的に、あんまりプロとして何か目指してもみんな体壊して挫折したりして、挫折ばっかりだと逆に遊ぶしかないんですよ。逆に開き直りというか、そういう風になっちゃってるんですけど。ん-、なんか目指せればその方がいいと思うんですけど。絵だって何だって、プロになってその道でやれたら幸せだと思うんですけど。そうもいかない。ほんとにしょっちゅう具合悪くなっちゃって、布団がお友達みたいになっちゃうこともあるんで。もうちょっと体が丈夫だったらね。いろいろ仕事としてももしかしたらできたのかもしれませんけど。まあ、これはこれでっていう感じですかね。そんなに真剣に考えてない。 ―そこがいいんじゃないですか。私たち、文団連っていうと確かに立派な名前ですけど、そういうことじゃなくて、私たちが言ってることの根っこは多分、「私たちは普通に文化で楽しみたい」とか、そういうことで集まったんだと思うんです。私もひょんなことから文団連と関わることになって、こういうインタビューをやることになったんで、だからこそこの佐藤さんの文章が面白い。「なにかとんでもない所に顔を出してしまったような気がして」というのは私も同感なんですよ。 佐藤 けっこう日常でしんどいこととかあるにはありますけど、そういう方を思いっきり出して詠んじゃったら、すごく陰惨じゃないけど、読んだ人が嫌になるんじゃないかと思って。俳句の方がいいなと思いました。自分の思いを出してドロドログチャグチャして詠んでたら、「うわっ」て人にドン引きされそうな気がして(笑)。 ―詩はいろいろなスタイルがあるし、特に私小説は自分のドロドロしたものを投影した文章がいっぱい出て来ますけど、確かに俳句にはそうではない良さがありますね。 佐藤 私自身あんまりそういうドロドロしたのが好きじゃないんです。自分でそういうのを詠んでもお笑いにしかならないだろうなと。いちいちお笑いで見ちゃってる感じですけど(笑)。 ―だからホッとするんでしょうね。読む人、私たちが。 佐藤 体は強くないんですよ。何かあるとすぐ具合悪くなっちゃって。仕事時間も高校生のアルバイトの方がよっぽど稼いでるだろうなって位しか働けなかったりして。そういうことでもう、もちろん嫌になる時もけっこうあるんですよ。でも、別にそういうことを作品にして人に見せたいとかあんまり思わないんです。そんなことよりもっとなんかそこら辺の楽しいこと見てた方が良くないかって。私はそういう風に思っちゃいますけどね。陰惨なことはいっぱいあるから、別にわざわざ自分からそんなこと出さなくってもと思うし。やっぱり俳句って、父に「観察に徹しろ」って言われているから、感情でもの言ったら全然俳句にならないなって。むしろそういうのは和歌とか、そういう方がドロドロなんでしょうけど。 ―和歌もいろいろじゃないですかね。 佐藤 とりあえず「観察に徹しろ」というそこだけは守ってます。たまに具合悪い時の俳句とかも詠んでますけど、感情は入れないで、頭痛かったら「頭痛い」ってそのまま詠んじゃって。「やりきれない」とか「苦しい」とかは絶対言わないんです。「頭が痛かったらそれまでよ」みたいな。必要なのは事実だけですよね、俳句は。逆にそれで自分の気持ちのダークなところにどっぷりしなくて済むから。そういうことはあんまり考えたくないですよね。だから締め切り前にいろいろいつもあったようなことを考えるくらいなとこで丁度いいのかなっていう感じです。なんか変な事言ってます?(笑)すみません、なんか。 来るんですけど、考えても、「単純なんだ、事実は」ということに圧倒されちゃって。素敵だと思うんだけどそのことがなかなか言葉にできないというか。 佐藤 だって、言葉にするって言ったって何もない(笑)。だから添え書きでも「ごめんなさい」とか書いちゃうんですよ。 ―でも、全然文章としては後ろ向きじゃないのがほんとに素敵ですよね。本人は「やる気がないことばかりで」とか書いてるけど、全然そういう風には受け取れない。 佐藤 友達とか知り合いの人で、絵を描いたり、消しゴム判子とか、音楽とかほんとにプロとしてやってる方もいるんですよ。バリバリ「人に訴えるんだ」みたいな感じでね。すごい頑張ってやってる人に「あんたのやってることは遊びじゃん」とかしょっちゅう言われるんですけど、「ごめんね」って。(笑)仕事にしなけりゃ本気じゃないみたいなことをよく言われるんですけど、「そうお?」と思って。表現者として楽しんでやってる時の方が人に伝わる ―自分のことで恐縮ですけど、舞台上でなんかの役をやるという時に、俳優が思い切り楽しんでいる方が伝わると思うんですよ。そういうことって表現者にとってはとても大事なことだと思うんです。 佐藤 私もたまに刺繍とかやってて、和裁もやってたんで、「帯縫ってくれ」とか仕事として頼まれることもあるんですよ。この間も刺繍の展覧会でいきなり「縫ったやつを集めてパッチワークでタペストリー作ってくれ」と頼まれて、「やったことないから無理無理」と言っても「いや、できるできる」なんて言われて。(笑)初めて綿入れとかやらされて、2メートルくらいのでかいの作らされたんです。皆さんに無茶ぶりされて、出来ることにされて、作らされるというパターンがけっこうあるんです。チャレンジするというか、させられるというか。 毎年町田で市民美術展というのがあって、それに作品を出してるんですけど、もう作りたいから作ってるみたいな。全部深い意味何もないんです。ほんと申し訳ないけど。 ―いえいえ、素敵だと思います。俳句と短歌の違い ―どうしても俳句というと季語とか、そういうこともあるから、自分で詠む人も享受する人も、若い人っていらっしゃいますか。 佐藤信 やってますね、若い人も。「童子」という同人ではけっこう若い人もいます。でも一般的に言えば俳句っていうと高齢者の方が多いですね。 ―教科書に載ってるのとか、昔ながらの「ホトトギス」とかのイメージからいうと、なかなか敷居が高いというか。 佐藤信 さっき言ってた「事実だけを言う、感情は言わない」というのは俳句の特質だと思います。作った時自分の気分や感情を入れないんです。えつ子のはまた特別なんだけど。 佐藤 えー?(笑)ひどーい。 佐藤信 遊びみたいなところがかなりあるんで、それがいいんじゃないかと思いますけど。それが短歌なんかだとそういかないでしょ。すべてを言い尽くして、感情も入れてと。 ―なるほど。言い切らないとダメなんですね。 佐藤信 俳句の場合はその部分だけを言い切ればいい。あとは読み手に任せるということです。だから作る方も気が楽ですし、高齢者が今までの体験を踏まえてやるっていうのもいいですね。 ―事実だけを言ってるんだけど、なんか事実だけではないものを感じるという気がします。 佐藤信 そこは言わなくて、読み手が感じればいい。えつ子の絵も、遊び心があって。俳句もそうだと思うんですけどね。 ―文化芸術というとしゃっちょこばっちゃう。日本のどこにでもあることなのかもしれないけど、もう少し自由であってもいいんじゃないかという気はします。佐藤 俳句を教えてくれた人がこういうことしか言わないから、これでいいんだと思って。 ―(笑)教えるっていうのも難しいですよね。 佐藤 ほんとに基本的なルールだけ言われて、「あとは好きでいいんじゃない」って言われて、なんかみんなそれで何も言わないからいいやと思って。たまに俳句の「けり」とか「かな」とか使い方間違ってる時、指摘されるんですけど、「ああそうか」と。それはそれで過去の失敗例みたいに残しておくのもいいんじゃないと思って。わかんないですもんね。(笑) ―わかんないです、僕も。 佐藤 すごい勉強してる人に、わかんないなんて言ったら怒られそうなんですけど。だからほんとごめんなさいなんです、全然わからないから。ちゃんと文章になってると「ああ、ちゃんと作れるんですね」って言われるけど、「わかんない」と思って。たまにドンピシャになって「そういう風に作ってるんですね」って言われると「ごめんなさい」。(笑)作ってるつもりはないです。 ―「作ってる」というのはなかなか深い言葉かもしれない。 佐藤 え、そうなんですか? ―(笑)いやいや。なんていうのか、演劇でも役者でもいろいろあると思いますけど、本気で楽しんでる役者が強いと思うんですよ。それに近いものを感じる。いろんな人物をやれと言われるんだけど、どんなに暗い人間の役でも多分やってる役者は楽しいはずなんですよ。面白い所を見つけてる。そういうのがあるから伝わるような気がします。 佐藤 暗い役とか、ドはまりになると戻って来れなさそうで恐ろしいですね。 ―キツイのはキツイと思います。やってる当人はね。 佐藤 ちゃんと分けてやらないと恐いですけど。 ―だけど充足感はあるだろうし。自分と違うということも大事だし。なかなか切り分けられない、必ず役者は自分の体を通してしか表現できないけど、自分とは違うということは大事で。客観視の大切さ佐藤 暗い所や黒い所って、やっぱりちょっと客観視して分けてないと鬱とかになりそうですよね。 ―最初は苦しいですよね。立ち上げる時は。 佐藤 吞まれないようにしないと精神やられそうで。だから暗い所を詠むの嫌なんですよ。そういうのを真剣に考えちゃうと、そういう所がぶり返しそうで。ほどほどにしておかないと危ないんじゃないって思っちゃう。演劇でも60年代70年代のアンダーグラウンドのグチャグチャドロドロのすごいのあるじゃないですか。 ―ああいうの好きな人もまだいます(笑)。 佐藤 逆にああいうのをドはまりで出来る人の精神てすごいなと思います(笑)。否定してるわけじゃなくて。自分ではちょっと怖い。ドはまりにはなれない世界だなと。嫌いではないんです。新宿の花園神社でやってますよね、今でも。ああいうの若い頃見たことあったんですけど、「うん、ちょっと無理」と思って(笑)。演劇として見てるとすごい面白かったんですけど、そっちの世界に自分がのめり込めるかというと「無理」。(笑)そっち側には行かないみたいな。若い頃って暗い所が大好きな人多いっていうか、私の周りには結構多かったんです。絵の学校に行ってた頃、そういうのを仕事にしたがる人って家庭でいろいろあったり、内面にいろいろ葛藤を抱えてる子が、私の周りだけかもしれないけど多かったんです。だから暗い表現をするのが大好きな人が。私は嫌だと思って。そっちにのめりこんでそれで酔っちゃうのはいやだなと。 ―どんな表現をするにしても、受け取り手がいるということは大事ですね。 佐藤 見る人がいるし、それが絶対みたいにのめり込んで描いてる人も多かったから、私は客観視って視点は会得したかったんです。感情ドロドログチャグチャは嫌だから。それは俳句ですごく学ばせてもらったなと思うんです。別に俳句だけじゃなくて、絵を描いても何やっても、生活の中でも客観視ってすごい役に立ってるから、客観視に徹して暗い方にのめりこまないようにしてたら、なんかお笑い俳句みたいになって(笑)。私はすごい真面目に作ってるんですけど。 ―だからおかしいんだと思います。クスリと。 佐藤 明るい暗いじゃなくて、その時見たことそのまんまなんですけど、そのまんまに徹してたら何詠んでも「面白いよね」って言われるようになっちゃって。家族にも。「お笑い俳句じゃない」って何度も怒ってるんですけど。(笑) ―わかります。この句、雨上がり若葉隣家の塀を越え これは単純に事実を述べてるんだけど、塀を越えている葉っぱの様子、乗り越えてるんだなというのを想像させるから、そういう様子がなんかおかしいというか。 佐藤 私は単純に「塀を越えて生えてるだけ」って詠んでも、読み手の人によっては「なんかこれ逃げようとしてない?」とか(笑)。 ―ニョロっと、愛嬌ある姿とか、人によっていろいろ想像はある。 佐藤 みんないろいろ想像しちゃうらしくて、それで「なんか面白い読み方するね」と。「いや面白いじゃなくて事実をそのまんま」っていつも言ってるんですけど。なんかお笑い俳句にされちゃって。違いますよ、ほんとに。(笑)ここは強調して言っておきたいです。 ―たぶん滑稽というのとは違んだなという感じがします。 佐藤 事実です。事実あるのみです。これ、ワンパック食べてしまったさくらんぼ なんて家族のそういう暴露みたいになっちゃうのが良くないのかも(笑)。―身近な人にはありありと浮かぶでしょうね、様子が。 佐藤 家族がこっそりやらかしてると、いろいろいい俳句ができるんです(笑)―事件ですね。 佐藤 事件です。 佐藤信 でもそれがいいんじゃないの。そういう人が気が付いてないような、その人しか見てないようなことを句にする。だから面白いんだと思うんですよ。若葉が塀を越えてきたっていうのも、事実そうなんだけど、そんなことを俳句で詠む人ってあんまりいない。 佐藤 そうかな。 佐藤信 だから「えっ」ていうのが。そこが面白いとこだと思いますね。個性というか。 ―ふっと隙間をついて来る。(笑) 佐藤 隙間を狙えみたいな(笑)。まあでもそうですよね。そんなに普通のところを見ても俳句ってできないですもんね。「もうみんな詠んでるだろうな」っていうか。人が見ないというより、私が興味を持つところが、マニアックな所が好きなんだろうなって。だから若い人と話が合わないっていうところがあります。自分が面白いと思っていろんなこういう話を日常の中ですると、他の人に「へ?」みたいな反応されて。俳句とかで詠んでるくらいでちょうどいいんじゃないですかね。私は独身ですけど、私の同世代、40代だと、みんな一通り子育て終えたり仕事で中堅どころになってたり、しっかり暮らしてるというか。私はフリーターみたいな、職探し中みたいな、そういう所で軽く生きちゃってる人みたいな扱いをされることはありますけど、まあしょうがないですね。体があんまり強くないので。だから軽く考えるしかないんじゃないですか(笑)。しょうがない状況っていくつもありますけど、それで嘆いたってなんとかなるわけでもなし。状況は状況で乗り越えていくしかないじゃないですか。そういうことばっかりだと逆に悲壮感は無くなってくるし。割と世の中も不景気だし、私みたいな人多いんじゃないですか。 ―そうですね。 佐藤 逆に世の中すごい好景気でも、同じ生き方してるだろうと思います(笑)。短時間バイトでフリーターみたいな。仕事8,9回くらい変わってますけど、会社が倒産したり、体壊して辞めたり、いろんな経験しました。一年以内に40度の熱を二回出したり。そういうとこは俳句でも感情むき出しに詠みたくないっていうか。「それはおいといて」とか、俳句ってそんな感じですよね。嫌な事ってみんなあるから。―わかりますよね。別にそのことを特別詠まなくても受け取れる。佐藤 私はそういう派です。 ―いろいろお話しいただいてありがとうございます。
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