久永理奈さん(美術家平和会議)インタビュー

 

ぶん文訪問記4 美術家平和会議 久永理奈さんインタビュー
6月25日 東京文化会館内喫茶店にて
駅舎が立て替えられ、すっかり模様替えした上野駅公園口界隈。東京文化会館の中の静かな喫茶店で、茨城からわざわざ来て下さった久永さんにインタビューしました。久永さんは今年の平和美術展の実行委員長。美術展のポスターの絵は久永さんの迫力あるパステル画です。インタビュアーはおなじみ東京芸術座の森路敏さん。記録係は青年劇場の福山です。
パステル画に魅せられて
―絵を描き始めたきっかけは?
ぶん文訪問記④
美術家平和会議 久永理奈さんインタビュー
6月25日 東京文化会館内喫茶店にて
駅舎が立て替えられ、すっかり模様替えした上野駅公園口界隈。東京文化会館の中の静かな喫茶店で、茨城からわざわざ来て下さった久永さんにインタビューしました。久永さんは今年の平和美術展の実行委員長。美術展のポスターの絵は久永さんの迫力あるパステル画です。インタビュアーはおなじみ東京芸術座の森路敏さん。記録係は青年劇場の福山です。
パステル画に魅せられて
―絵を描き始めたきっかけは?
私の母が20代の頃、都内で雑誌編集部に勤めていて、雑誌のロゴやちょっとしたコーナーの挿絵を描いたり、当時の音楽シーンではレコードでしたので、歌詞カードの中の絵を描く仕事をしていたんです。そんな母が私や二つ上の兄や、おじいちゃんおばあちゃんの家族団らんの絵を描いてくれて、家の壁に飾られていたので、自然と絵に興味を持ちました。当時の私にとっては母の絵が「絵」でしたので、「上手だな」って誇らしく思い、絵といえば人を描くものだと思っていたくらいです。私も気づけばお姫様とか、いわゆる女の子が描きそうなものは描いている子でした。
中学に入った時、偶然美術部に入り、部長を経験し、その流れで高校では選択授業で美術を専攻しました。顔を立体的に色付けするというやり方を高校の授業で習ったのが、今の自分の描き方に役に立っています。私はちゃんと美術学校に行ってるわけではなくて、高校卒業して二十歳の頃まで絵から離れていたんですが、小さい時から絵の関係の仕事につきたいなという漠然とした夢はあったんです。ただ父が反対していたもので、高校卒業した時点で私の夢は途絶えたようなものでした。
それを不憫に思ってくれたのは母で、当時母の知り合いだった女性が絵手紙の先生をされていて、「勉強のために通っていたおじいさん先生がいる、その先生はどのジャンルもすごくお上手な先生なので、その先生を紹介して差し上げます」ということで、私もその山田先生のもとへ通うことになりました。そこで私は「あ、画家ってこういう人のことを言うんだな」っていうことを目の当たりにするんです。
油も水彩もとてもお上手な先生で、特にパステル画に定評があったようですが、私は申し訳ないんですけど全く存じ上げなくて。先生が「理奈にはパステルを教えてあげよう」とある日言ったんですね。私は初めてパステルという絵の具があるんだと知りました。それが二十歳くらいの時です。「まあ見てろよ」と言って先生が描くパステルは、私からすれば魔法のようで、あっという間に形になり、絵としても素晴らしい、なんてきれいな絵なんだと思える絵が目の前に出来るんです。わずか10分足らずで。
「見てろよ」と言われてなんとなくは分かるけれど、描き方の手順がどうなのかやっぱりわからなくて。もちろん手順というのは「こうである」という決まりは無く、自由に書けばいいんですけど、先生は自分のやり方を教えてあげたいというのがもちろんあるわけです。でもやっぱり私にはいまいちつかめなかったんですね。なんとなく分かるけれど、なんとなくわからないみたいな。そこで先生も、どう伝えたらわかってもらえるんだろうと頭をひねられて、私も頭から煙が出るくらい「全然わかんないです」って感じだったんです。
その時先生が私の顔をじーっと見ていて、「あ」って顔をして、「そうだそうだ、理奈はそういえば化粧するよな」って言うから、「お化粧大好きです」と言ったら「化粧するように描けばいいんだよ。化粧する順番で描けばいいんだ」って。その時、さっきまでの先生の手順が、「あ、そういえばそうだったかも」って、自分の中で「なるほど」とすぐに理解した。ものにできてるかどうかは別ですけど、こういう風に描けばパステルは使えるんだって理解できたんですね。
要するに下地をつけて、ファンデーション塗って、チークやアイシャドウで色付けしていきますよね。アイラインとかマスカラで締めて、ハイライトも入れますよね。そういう感覚でこの道具を使っていけばパステルの絵は描けるよって教えてもらった時に、なんてわかりやすいこと言ってくれたんだと思って。いまだに使いこなせてるかどうかも分からないですけど、でも道具としてはとても楽しく、自分でも愛着のある絵具です。絵筆を使う水彩や油絵とかは本当に難しくて、苦手なんですよ。(笑)スケッチ旅行という年に一回の行事があるんですが、スケッチを描くのが苦手で、どっちかっていうとほんとに休暇に行ってるような感じです。一枚くらいなんか描かなきゃなって思って頑張って描くんですけど、風景画も静物画も私は本当に苦手です。
人物の描き方に関してもそうです。今回ポスターになってるのは20年くらい前の作品なんですね。パステルを教えてくれた山田先生は人物画をほとんど描かれなかったんです。私が知る限り、風景画や静物画を描く先生でした。でも「先生、私人が描きたいんですけどいいですか」って聞いたら、「もちろんいいよ、何描いたってかまわないんだから」って言ってくれました。なので私の作品は、独学という言葉では何の努力もしてない分おこがましくて言えないんで、まあ偶然の産物です(笑)。一番それがしっくりくる。自己流でもない、偶然の産物で描いてるだけです。
平和美術展の実行委員長に
平和美術展の実行委員長を今回仰せつかりましたけれど、(正確には去年だったんですけど延期になったので)そんな器ではないんです、はっきり言って。平和美術展の運営委員の中で父親母親世代の人達の中でポツンといるのが私なんです。初めて会議に参加する方も時々いらっしゃいます。そうすると「あちらの女性は?」って私のこと遠くで聞いてる人もいるんですよ。古くからいるメンバーは「何言ってんだい、うちの看板娘だよ」とか言って冗談を言って下さるんです(笑)。
山田先生に声をかけられて、21歳の時に初めて東京都美術館に出品しました。その前の年に松戸の方の展覧会に参加しましたけど、平和美術展はその時が初めて。こんな何の経歴も無い私が、いくら一般公募だとしても、やっぱり山田先生が声をかけて下さらなかったら、一生飾られることは無かっただろうなって。
 絵に関する仕事につきたいという漠然とした願いはその当時はあきらめてました。やっぱり美術関係で進学したいと真剣に相談したんですけど、母親はもちろんOKって言ったんですが、父が反対したんでダメになってしまったんです。で、私はその当時ふてくされていたので(笑)、何をしたいのかもわからなかったし、なんならもう何もしたくないって(笑)、山田先生に最初会った時も、会うまでは「別にもういいよ」っていう、その話題に触れられたくない気持ちもあったんです。でも、母がどうにか私を喜ばせてあげたいっていう、自分の娘が自分が好きでいた世界と同じような世界に興味を持ってくれているのは母としてもきっとうれしかったでしょうから、なおのこと、「行ってみなさい」って。母は一度先生にお会いした上で「いい先生だったわよ、だから安心して行ってきて」っていう感じだったんで、「まあ行って見るか」としぶしぶ行ったんです(笑)。いざ行ってみると、お母さんよりも年上の先生だったんですが、先生も、先生の奥様も本当にかわいがって下さって、孫みたいな感じで(笑)。
 だからすっごく感謝してるんです。私が運営で頑張っていられるのは三つの理由があります。
一番の理由は先生へのレクイエムのつもりなんです。今はもう亡くなられているんですが、振り返ると私は先生に対してあまりいい生徒ではなかったかもしれなあと。先生はそんなこと一言も言わなかったですし、「誇りに思うよ」って最後にお会いした時に言って下さったのを覚えてるんですけど。でもやっぱり自分の中では、もっとたくさん教わるべきだったと少し後悔してますね。
平和美術展は地元の夏祭り
私、小さい時からアトピー性皮膚炎を持っていて、そこがまた「矛盾の22年間」て感じなんです。パステルは指で描きますから、本来なら非常に困難なんですね、アトピーは乾燥して裂傷して血も出るんですが、それに対して使用するソフトパステルは顔料むき出しなんで皮膚がすごく荒れるですよね。でも、顔料がむき出しだからこそ発色も良いわけです。皮膚の為には、ほんとだったら筆で描く努力をすればいいんでしょうけど、やっぱりパステルが自分でも好きなんですよね。だけど、手が痛くて沢山は描けないっていう現実に矛盾を感じながらも平和美術展にいる理由は山田先生が誘ってくれたから。
それと、展覧会を通じて学べたこともあります。どういった流れで展覧会が出来るのかなんて、なかなか見ることもできない世界だと思います。先生に出会うまでの私は、展覧会に自分の絵が出品されるなんて夢のまた夢だったので、それを考えるとやはり、ありがたいなと思ってます。
二つ目の理由が、自分が小さい時に抱いた、美術関係の仕事につきたいっていう思い。この平和美術展の運営に携わっても、別に会社組織ではないので、それに見合ったものが出るかというとそうじゃないですけど、美術の世界にいる。自分の存在の確認作業なんです。
そして三つ目の理由が、運営委員がほんとにアットホームな皆さんなので、その居心地の良さといいますか、もう20年もなんだかんだ携わらせていただいてると、ほんとに実感します。
平和美術展は、例えて言うなら、地元の夏祭りみたいな。だから無くなったら寂しいんですよね。そういう感覚で大切に思ってるものです。無くしたくないなって思ってるから、私でよければ何かできることないかなと思って、年齢差関係なくいる。それが私が平和美術展にいる三つの理由。山田先生への感謝と、自分の存在の確認作業と、展覧会を無くしたくないなって思う気持ちですね。
コロナで延期になって
―平和美術展は本来なら去年開催される予定だったのがコロナで延期になったそうですが、ご自身や、周りの絵を描いている方々も含めて、コロナになってこれが大変だっていうことはありますか?
大変だったことっていうのは、特別には無いんじゃないかと思います。決断が早かったので。展覧会の申込書なり入金振込書を完全に送付して振込まれた後だと、返金の手続き等大変な訳ですけど、まさにその直前で、印刷かけて発送しようかっていう所で先を見越して決定したので。
ただ、その間に、年配者が多いので、「ここらでリタイアする」って、出品仲間がちょっと減ってしまう事はあったので、ちょっと厳しいところだなと。だからこそ今回の平和美術展ではインパクトを残せるようにというか。うちだけがコロナで迷惑かかってるわけではなく、世界中が困っているわけじゃないですか。だからあまりコロナコロナというのを前面に出したくない。もちろんそれをテーマに作品にされる人は絶対いらっしゃるので、それはそれでいいんですよ。そういうことを言いたいんじゃなくて、「コロナで大変でしたけれども」っていう前置きみたいな空気感は作りたくないなと思います。わかりきってることなんで、誰もが。それよりも開催できたことを前面に出したいなと思ってます。それは会議でも言ってます。そのためにどうしたらいいかは今後考えます(笑)。
平和美術展の「子どものしあわせのコーナー」
―平和美術展に行った事がない方のために、平和美術展の特徴を。
平和美術展らしさというと、「子どものしあわせのコーナー」というのがあることです。最初聞いた時に、お子さん世代が出してるのかなと思ったんですけど、そうではない。うちのルールは18歳以上で、逆に18歳っていう年齢の方もなかなか出されないので、大人が普通に出品してるんです。
要するに、平和な世界を築くのは今いる子どもたちだという事だと思うんですよね。もちろん戦時中の経験から平和を願って作られているのが平和美術展ではあります。広島の爆撃とか、絶対に語り継がれなければいけないことではあるんですけど、経験してない私たちは、経験しなくていいじゃないですか。人それぞれ世代ごとに平和の考え方って違ってくると思うんです。語り継ぐのが平和美術展の最初のルーツであいれば、それをもちろん守っていかなければいけないと思うんですけど、そればかりの作品だと、それだけの展覧会になってしまうというのもありますから。本来、平和って日常の中にあったりもすると思います。だから特にそのコーナーに関しては、私の解釈ですけど、平和を作っていくのは今の子どもたち世代だから、子どもたちへ平和を願う気持ちみたいな作品が飾られてるんだと思ってるんです。そういうコーナーってよそにはないと思うので、そこが見どころの一つではないかと思います。
ジャンルの豊富さ
 あとはジャンルの豊富さというのも平和美術展の魅力の一つだと思うんです。昔は海外コーナーっていうのもあって、あの当時はほんとにぎやかな感じでした。今は担当者がリタイアしてしまったりして、なくなってしまったんですけど、それでもまだよその展覧会から比べれば、油、水彩、デッサン、パステル、彫刻、立体彫塑、工芸ですとか、写真も生け花もありますし、書も日本画もありますし、多岐に亘ってると思うので、ご来場くださったら飽きずに見ていただけるんではないかと思います。
美術や芸術とか、発表してる立場としては見てくれる人がいないと意味がないじゃないですか。で、好きか嫌いかはその人の自由なんですよね。音楽でも、どんなに大ヒットしてる曲でも、自分個人が嫌いだったらもう嫌いっていうことで終わりなんですよ。作ってる方には申し訳ないんですけど実際そうじゃないですか。シンプルに好きか嫌いかだけの判断でいいんですよね。賞があったりする展覧会だと、役員の上の人が第一室っていうのはあるんですよね。うちは賞が無い分、役員の上の人が第一室にっていう考え方はしてないんですね。うちは第一室は油絵が多いんですけど、油絵は大きい作品が多いので、インパクトでガッと掴めるじゃないですか。来場者の心を。色鮮やかですし。ということで油絵は第一室に飾ろうねって、単にそういう判断で展示計画会議も行われたりするので、私はそういう決め方がいいと思います。
上手さとは
―なんとなくわかります。私たちもそうだけど、技術とか上手いということは追求されるべきものではあるけれども、それで序列がつくということと、表現というものの独立性、ありのままのものとは違うって感じはします。
 そういえば、20代のころ、「演者」っていう名前の劇団に知り合いがおりまして、5,6回くらい観に行ったことがあります。彼らのお芝居はセットとかほとんど無いんですね。ただのステージと最小限の小道具だけ。劇場はほんとにとってもとってもちっちゃい所で、どうせだったら前で見たいと思って1,2列目で見たら近すぎるくらい近くて(笑)、でもあの迫力はすごいなと思いますね。お芝居の迫力って、なんかこう、自然と引きこまれていく。背景が無くてもあるように想像が出来るんです。。
彼らはおそらく、そんなに名の通った劇団ではなかったと思うんです。けれども十分魅力的だと思いました。最初の一回目は友達の友達だったんで、付き合いで行ったんですけど、二回目以降は、行けるタイミングあったら行きたいなと思って自ら行ったくらい。有名とか有名じゃないとかじゃないと思ったんで。情熱を自分なりに受け止めて、すごく面白く感じました。
もちろん巨匠とかの作品だったら「あーなるほど」ってなりますけど、でも有名な巨匠の絵や舞台が全部素晴らしい作品って評価されていても、全部自分の好みかっていったらそうじゃない。好きか嫌いかってシビアな判断ですけど、芸術とか、そういうものは儚いものなので、それが正解なんじゃないかと。
―絵にしても芝居にしても、結果を見せるけど、見る側としては、例えば巨匠がどう格闘してこういう作品を創ったかっていう事に触れられるとなんとなく嬉しい。作品の出来ってなかなか難しい言葉ですよね。ただ上手ければいいのかというと。
 そういう事じゃないですよね。上手いに越したことはないんですけど、上手けりゃいいっていう問題じゃない。見る人の感覚の問題もありますからね。私は印象派時代の画家さんとか好きなんですけど、だからといって写実的な絵を描く人も普通に尊敬します。自分はそういうのはとてもとても描ききれないですけど、だからこそ人間業じゃないなってくらい緻密に描かれている人の絵を見ると、集中力とか何もかもすごいなって思いますし。
でも、余りにも上手すぎて、本当に写真のように描く人いるじゃないですか。毛穴まで描く人いるんですよ。そこまで行くとちょっと、単に好みの問題なんですけど、「写真撮ればいいんじゃない」って思う。その人はもはや人間味より写真化を目指してる。写真のような正確さを求めている。でも私としては、写実的、超リアリズムだとしても、どこか作者の人間性が見受けられるタッチが残ってると嬉しかったりします。
―表現者と表現の関係の中で、にじみ出てくるだろうと思うんですけどね。
例えば知らない絵に、「あ」って立ち止まって見て、かっこよく言うと絵の中に入るという感覚で見た時に、当然作者の思惑があって一つの作品が描かれているわけで、それを知ってから見れば、その通りのところを目線で追ってみたりするわけですけど、それをあえてしないで一回見てみると、解釈は自分の勝手になるわけですよね。それが合ってても合ってなくても構わない。見た時になんかこう、人間味を感じる、勝手にこの作者ってこういう人なんじゃないかなとか、想像させてくれる、そういう絵が好きです(笑)。
パステルの特色
―話は戻りますが、一般の人は油絵とか水彩とかってイメージしやすいけど、パステルの特色は?
 パステル画って聞くと、たぶん絵本の中の淡いメルヘンな世界を想像すると思います。パステルは形状としてはチョークみたいな形です。いろんなパステルがあるんですけど、粉を圧縮して棒状にしたものです。大きく分類してハードとソフトがあり、ハードは旅先で持ち歩くのが便利。固いので折れにくいから。我々が使ってるのはソフトパステルと言って、先ほども言いましたが、コーティングが少ない分発色がいいんですね。顔料がそれだけむき出しになってる状態で崩れやすくてもろくって。でもその分色が混ざってくれるのできれいに仕上がります。
あと、大根おろすみたいにパステルを削ると粉に戻ります。それをブレンドして描く人もいます。スポンジでポンポンと、淡―くフワーっとした世界を描く人もいます。私の場合は直接画用紙の上で色を混ぜていく感じなので、タッチが濃くて油絵と勘違いされてしまうんですね。
(ポスターを広げると黒を基調にした迫力ある人物画が現れる)これは20年前に、その時友達だったインディーズのバンドマンを応援する気持ちでライブ中に写真を撮って、それを自分でメンバー一人ひとりを組み合わせて描いた作品なんです。
―なんか力強いですね。
2006年に描いた作品なんですけど、これを見た時に山田先生が初めて「よく描いた」ってほめてくれました。偶然の産物ですけどね(笑)
―いやいや、面白いです。これは手で?
そうですね、指で混ぜたりとか。
―輪郭も指で?
そうです。筆だと粉なのでただとっ散らかるだけです(笑)。簡単に言うと画用紙に色を載せるんですよね。画用紙はフラットなものでなく、粉がひっかかりやすくて微妙にポコポコした感じの専用の画用紙を使うんです。それに直接、チョークのように寝かせてまず面で背景を塗って、細かい所や線を引っ張りたい時はパステルを立てて描きます。色は何色もありますけれど、無ければそこで指で混ぜる。寝かせて立たせて色を重ねて。これは重ね塗りが出来るものなので。
技術は大して変わってないですけど、この絵を描いた時よりは今の方が少しは成長してると思うので(笑)、ポスターにする時「これをまた出すのかあ」と思いつつも、これは別の展覧会にも出しまして、そちらでも評価をいただいたので、私の代表作と言えば代表作になると思えば、まあ。自分の絵がポスターになる日が来るなんて一つも思ってなかったんで、そういう意味ではこの絵で正解かなというところです。
展覧会を迎える喜び
―いろんな人とこの会の運営について話し合いを重ねられて、大変さはあると思いますけど、喜びは。
 展覧会に向けて議論に議論を重ねて、さっきはアットホームって言いましたけど、例えば兄弟親子でもケンカする時はするじゃないですか。ケンカというほどではないにしても、時には意見のぶつかり合いが会議でもあったりして、「なんか今日はデッドヒートしてたね」っていう日もありますよね。なんとなく後味が悪かったっていう日もあるし、イラっとする一言二言を言い合ってるのを見ることもあります。私自身が何か言われたりすることも昔はありました。今はほとんどないですけど。
でも、展覧会を迎えられて過ごしてる時の楽しさって、別に何かすごく面白いことがあるわけではないんですけど、なんかわかんないけど楽しいんですよね。なんでしょうね、毎年同じことなんですけど、毎年違うわけですよ。絵が違うとかそういう事じゃなくて、突き合わせてる顔は一緒なんですけどね。楽しくてしょうがない。それがあると全部チャラになるっていうか(笑)。この日をやっと迎えられたと思うと、生意気ながらにそう感じますね。
―なんでしょうね。
きっと森さんはわかって下さるんじゃないかと思う。
―ワクワクしてる感じですか。
そうです。別にすごく特別な何かがあるわけじゃないんですよ。でも、例えば苦しい稽古をされてきて、時には表現がうまくいかないとかいうこともあるかもしれない。かってに想像して失礼なんですけど。でもどうにかこうにか紆余曲折して初日を迎えられて、お客様が集まってる姿を見ると、そのお芝居が初めてお披露目する日であっても、舞台をやるということでは同じじゃないですか。内容が違うとかじゃなくて、そこに行きつくまでのプロセスがあってお客様を迎えられた、その光景を見たらなんか全部忘れられるというか(笑)。見に来てくださった方たちに「楽しかったです」って言われたら、
―言うこと無いですね。
そう。それだけで。だからそれが喜びですかね。後は別にどうってことないです、正直言って(笑)。だから私は展覧会を無くしたくない。だって年間行事の中では完全にダントツトップの花形行事ですもん、そのために集まってるんでしょう、我々は。みんなで力を合わせて、いろんな趣向の人達が、変り者たちが集まってる(笑)。一つの目的に向かっていって、その日を迎えるわけですよ。
裏方の人達の支え
主催者側がいなければ展覧会は開けませんし、出品者がいないと展覧会は成り立たない。ここ数年自分が展覧会の運営委員として裏方やってる時に、出品者だけでなくプラスαで、その我々をさらにサポートしてくれてる人たちがいることに気付きました。もちろん最初から知っている存在の搬入業者の人達とか、受付業務の人とか、そういう裏方を支える裏方の人達もいて下さるから開催出来てるんだなって。黒子のように目立つことのないけど、改めてその存在がかっこいいって思いました。
その後、うちの展覧会にもっと貢献できることは何だろうってさらに自分自身を振り返りました。ちょうど私自身も転機がやってきていて、長年勤めたショッピングセンターの受付の仕事から転職するタイミングで、美術展の受付業務のお仕事をしているところに仲間入りしまして、小さい頃の漠然と抱いた美術に関する仕事をしたいという夢を現実に叶えたんです。(笑)
それこそコロナとぶつかったので、思うような仕事の本数ではないらしいんですけど、私は新人なので、今位のペースで十分ですって感じで。でも予想通り、いろんな展覧会を拝見できるのですごく楽しいんですね。一方で、うちの話をその団体にいちいち話したりはしないですけど、「うちとこういう所が違うんだな、こういうやり方ってすごくいいな」って参考になることもあります。運営という裏方は主催者で全員が「先生」なんて呼ばれます。展覧会期間中でも呼ばれる立場から、更に支える裏方をやってみて、今度は呼ぶ立場になる。だからこそ主催者の自分たちの立ち居振る舞いというか考えさせられましたね。より一層にありがたく思えるようになって(笑)。
―恐れ多いって感覚ありますよね。(笑)
受付業務の人間は主催者側の上の人達に対してはみんな先生と呼ばなければいけないというルールがあるんです。私の仕事先の先輩方とか上司も、よその展覧会の仕事でちょっとしたことがあると、私が平美展の人間だって思い出して、「あなたもそもそも先生だけどね」とか言う。「そうですね、すみません」とか笑いあったりしてます。(笑)
―裏側の方が人間よく見えるということはありますよね。
そうです。搬入の業者の方たちに、それまでは普通に「お疲れ様でした、有難うございました」って挨拶くらいはしても、雑談とかしたことないわけですよ。受付の仕事で行った時搬入の手伝いがあって、搬入業者の会社名が「あ、うちがお世話になってる業者だ。もしかすると、『あれ、久永先生なんでこんなとこにいるの』ってなるな」ってちょっと構えてたら、何度かお話したことある人はその日いらっしゃらなくて、知らない人ばっかりだったので、ざっくばらんにいろんな雑談しつつ一緒に作業をして楽しくお仕事をしました。そしてやはり、こういう業者さんたちがいるからこそ展覧会は開かれるんだと改めて思って。だから「コロナだからできなかった」ってことを言うんじゃなくて、とにかく色んな人達の協力があって、今年やっと開催することが出来ましたってことが言いたいって思ってます。それはうちの代表たちにも言ったんですけどね。「そりゃそうだよな、ほんとに有り難いよね」って言われました。
昨年は中止になって泣いた
―ニュース見ても感染者数は減らないし、その中で何を言うか、僕も表現者だから分かる気がします。
去年できなかったのは会館の都合ですか?
もちろんそうですね。私たちは会館が駄目って言われたら出来ないので。緊急事態宣言という初めて耳にする言葉を聞いて、早めに中止を決断したってことだと思います。やあ、泣きましたね、その連絡聞いた時、自分でもびっくりするぐらい泣きました。バスの中で仕事の帰りに泣きじゃくりました。「あ、こんなに楽しみにしてたんだ私」と思って(笑)。「出来なくなっちゃった、私今年の夏何すればいいの」とか思って。
だから私は、あえて絵のことはなんにもしなかったです。忘れようと思って。だったら逆にこの夏を楽しもうと。楽しむったって別にどこも行けないんですけど。絵のことは考えないようにしました。じゃないと寂しかったんで。コロナ渦の過ごし方は人それぞれで、絵をゆっくり描いて過ごしたっていう仲間たちもいますけど。私は毎年申し込み担当で不眠不休生活が続いてイライラカリカリしてる時期だったのが無くなったので、なんか穏やかに過ごして(笑)好きなことしてました。
絵を描くということ
―久永さんにとって絵を描くってどういうことですか。
私にとってその質問はちょっとテーマが大きすぎて、なんですかね、わからないんですよ、正直。アトピーを理由にしてるって思いたくないんですけど、事実私はあまりにも作品数が少ない人間ですから。ほんとはもちろん描きたいんですけどね。でも接客業もしていて、人の前で手を出したりしますから、あまりひどいと仕事もできませんし、今は母も高齢なんで、家のこともしますし、そこでまた普通に手荒れもしますしね。だからどうしても自分のやりたいものの時間が後回し後回しになるので尚更なんですけど。
ほんとに私は絵が好きなのかなって考えたことあったんです。それから、絵が好きかどうかで悩んだことだけが理由じゃないですけど、平和美術展を抜けようと真剣に思ったこともありました。大きな声では言えないことですが(笑)、実行委員や運営委員になったばかりの頃は、若かった分つらかったことがあったんで。でももし抜けたらもう私は絵を描かないなって、その時思ったんですね。おそらく私は他所の団体に所属することはないですし、出品もしないと思う。平和美術展にいる間だったら、うちの人達も出してるような他所の展覧会に出すかもしれない。でも平和美術展という家の中から抜け出てしまったら、多分こういう出品するとか展覧会という世界からは一切抜けると思うんです。せいぜい自分で本当に描きたいなって思う時に描いて楽しむくらい。昔を懐かしんで。(笑)
だから絵を描くことについて問われると、別に何も無いんですね。みっともない位何も無いですね。恰好つけて何か語りたいとこですけど、特別何もないです。「あ、描けたかな」って完成したと決めて手を止めた時、すごく楽しいって初めてその瞬間気持ちが沸き上がってきます。描いてる時は試行錯誤しながら描いてるので、むしろ辛いことしかなくて。パステルを手元にバラ―っと広げて、この肌の質感を表現するって時に自分なりに手元にある色でどうにかしなければいけないわけだから、もっとこういう感じにしたいって、瞬時に判断して色を拾っていくんです。私はきれいに並べてないので(笑)、あちこちにおいてますから、目に入って「あ、この色」って思ったのを重ねていって描いてますから。すごく夢中になれる時間でもあるんですけど、苦しい時間でもあるんです。だけど一所懸命描けたなって思えた時には楽しいって思える。それくらいですかね。私にとって絵を描くことは。あとなんかわからないですけどとにかくその世界が好きなんですよ。落ち着くんです。言葉にしにくいですね、とても。
―聞いてると、俺たちも一緒だよなって思います。稽古の時はつらいし。演出家にガミガミ言われるだけじゃなくて、自分でもやっぱりなんかうまくいってないよなって時もあるし。
さっきも言いましたが、私は果たしてほんとに好きなのかってすごく考えたこともあったんですよね。描きたくても描けないっていうのもあるんだけど、結論として描けてない人間が、「絵好きです、私絵描いてます」って言いたくないんですよ。「時々描きます」くらいな(笑)人間なんで。
インスタグラムを通じて知り合った、私と同じアトピー性皮膚炎持ってる女性が、やはりパステル画が好きで描いていた。その人はまめまめしく描いて、更新してるんですよね。「手痛くないんですか」って聞いたら、「いや痛くてしょうがないけど、私の中ではもう習慣になってるから一日一枚何か描かないと落ち着かないんだ」って。それ聞いた時なお一層「私ってなんて情けないんだろう」って思ってたんです。でも実際痛くて指も曲がらないんです。だからこの人すごいなって思った時に、「私って情熱無いのかな」ってちょっと思ったりして。でもなんかやっぱり好きなんですよ。分かんないんですけどどうしても好きだと感じてしまうんです。うまく言えないですね。
―ありがとうございました。