ぶん文訪問記⑫ 歌声喫茶ともしび 高橋諒佑さん

ぶん文訪問記⑫ 歌声喫茶ともしび 高橋諒佑さん

 

高田馬場の真新しい明るい歌声喫茶ともしび。新宿のお店には行ったことがありましたが、高田馬場店は初めて。2時に店が開くと、平日の昼にもかかわらず次々お客様が来店。220分からのステージが始まると、さっそく客席も交えた合唱が始まります。お店でインタビューした高橋さんは今年7年目の専従従業員でまだ26歳の青年です。お話を聞いたあとは久々に歌声喫茶を満喫しました! 聞き手は東京芸術座の森路敏、記録係は青年劇場の福山啓子です。

 

従業員もお客さんも一緒に歌うステージにびっくり

―まずともしびの活動と出会われたきっかけをお話ください。

高橋 毎月ともしびでミニコンサートをやり、今も三か月に一回コンサートをやっているベイビー・ブーっていうアカペラのグループがきっかけでともしびを知りました。イベントで地元の新潟に来た時に初めて彼らを知って、彼らが歌声喫茶ともしびに関わっていて、ともしび監修のCDを出されていたので。彼らにあこがれていたし、自分も音楽をやっていたんで、音楽の専門学校に行くために上京して、アルバイトを探している時に母から「どうせなら行ってみたら」ってともしびの求人が送られてきて。

―お母さんはともしびをご存知だった?

高橋 父は東京の人間なんで、昔行ったことがあったらしいんですけど、母はどうだったかわからないんです。でも母も同じようにベイビー・ブーが好きで、情報を見ている中で、当時うちの斎藤店長がやってた「店長ブログ」っていうので求人をやってたんです。その記事が送られてきて。「もし今アルバイトを探しているなら行ってみたらどう?」と。自分も音楽の学校に通っていて、いろいろ勉強しながらお金を稼げたらというのがあって(笑)。アルバイトに入ったのがきっかけです。

―歌声喫茶って、僕らの世代にもあまりなじみが無いんですね。「こういう所が面白い」っていうのはありますか?

高橋 一番最初にともしびに来たのはアルバイトの面接の時だったんです。面接後「もしよかったらちょっと営業の様子見てみない?」って言われて。ある程度情報は知ってたんですけど、生伴奏で、お客さんも従業員もみんな一緒に歌ってるっていうのを実際に見てけっこう衝撃的で。すごい不思議な感覚というか。

―贅沢な感じですよね。

高橋 そうですね。カラオケとかと違って、全員が同じ歌を歌う。学校で合唱やりますけど、世に出てから、大人になってからみんなで一緒に歌うことってあまりないじゃないですか。合唱団に入ってたりしないと。しかもどんどん違う歌が出てくる。

―知らない歌が。

高橋 そうです。いろんな世代、ジャンル、時代とか国とか、どんどん知らぬ間にステージが進んでいく。しかもそれをみんなで歌っているのがすごく衝撃的というか。面白い空間だなって思いました。

―言われて見ると、カラオケってみんなで歌っているようで一人一人で歌ってますね。

高橋 そうそう。好きな歌をメインで歌ってる人がいて、周りがワイワイしてる。それとちょっと違うんですよね。もちろんリクエストを出す人がいるんですけど、カラオケだと「追随して盛り上がる」ような所が、歌声喫茶だと横並びというか、一緒に。

―あー。連帯感みたいな。

高橋 そうですね、同列になって同じ気持ちで楽しんでいるような雰囲気があったなと。今でもそうですけど。

―ここでどういうお仕事をされているんですか。

高橋 私はメインはフロアスタッフとステージの司会進行です。お客様に曲のご案内をして、「次にこれを歌いましょう」っていうのをやってるんですけど、その他にも店内の業務を幅広く。もちろんキッチンの中に入ることもありますし。

―ともしびだけでない演奏活動も?

高橋 一応個人でも音楽活動をちょっとずつやってます。今年の6月にここでソロライブをやったんですけど。後は友人関係のイベントに呼ばれてギターの弾き語りをやったりしています。

 

昭和レトロブームの影響も

―ともしびにはいろんな年代の方が来られると思うんですけど、年代的な偏りとかは。高齢の方が多い?

高橋 全くその通りで、今年で歌声喫茶70周年なんですけど、初期の頃、一番歌声喫茶が盛り上がっていた60年代に学生だったり、若かった人がそのままファンとして居ついてくださっているので、年齢的には6070代がメインの層です。そこから下っていくと、特に4050代がすごく少ないんです。

―そうなんですか。

高橋 お客様も従業員もそこがゴッソリ少なくて。最近2030代は、従業員もお客様もちょっとずつ増えてきています。4050代の層が2030代の頃に、カラオケとか他の文化が入ってきて。

―個人的な活動に流れていった。

高橋 世代的にはそんな感じです。お客様や自分の知り合いに聞いてみても、60代以上は「昔行ったことあるよ」とか、名前やどういう場所かを知ってる方が多いんですけど、4050代になるとだんだんそれが減っていって、2030代になると「歌声喫茶って何?」っていう、全く知らない世代になる。

20代の人も60代の人も来られる。上の方は懐かしいものを求めて。そのことを2030代のお客様も新鮮に感じている?

高橋 そうですね。歌声喫茶自体が新鮮なのもあるし、この5年、10年くらいで「昭和レトロブーム」ってあるじゃないですか。

―あー。なるほど。

高橋 その一環としての歌声喫茶であるとか、今うちでやってるのが「昭和ポップス」っていって、70年代80年代の曲を中心にしたくくりがあって。

―なつかしいですね。

高橋 フォークソングであったり、ニューミュージックであったり、アイドルソングだったり。従来「昭和歌謡」とひとくくりになっていたものから、70年代80年代を中心に「昭和ポップス」とちょっと名前を変えて一部の若者に親しまれているっていうのがあって。そういう歌が歌える、生で聴ける場所というのでチラホラ若い方がいらっしゃいます。

―新しい歌を持ってくることもありますか?

高橋 もちろんあります。高田馬場に店をオープンする時に、通常使っている二種類の、歌詞だけが載っている歌集があって、そのうちの一冊を再編というか、曲を追加したり入れ替えたりしたんですけど、その時に「昭和ポップス」や比較的最近の、2000年代のものも入れて若い人たちにも楽しんでもらえるようにしました。前の店で使っていた歌集だと、若い人が知ってる曲っていっても「ハナミズキ」くらいで(笑)。

―それでもなつかしいくらいですね。

高橋 新しい歌集にいれたものだと、わかりやすいものでは「栄光の架け橋」とか、朝ドラで歌われてた「365日の紙飛行機」とかも入れて。新しい曲だけど従来のお客様も一緒に楽しんで歌えるような曲を入れました。あとはジャンルに特化した歌声喫茶って言うのをお店で時々やるんです。フォークソングとか。ロシアの歌だけ、労働歌だけ、昭和ポップスだけっていうように。そこで歌われた曲、ふだん歌集に載ってない曲を「これ通常営業でもやったらどうかな」って、この上についてるモニターに歌詞を出して、譜面も用意して、ちょっとずつ追加してやっています。

―日本の歌の流行って難しいですね。回転が速いし、若い人は若い人だけの曲になりがちだし。

高橋 最近の曲って一人で歌うのも難しい曲が多いじゃないですか。

―難易度が高い。

高橋 そうなってくるとみんなで歌うのも厳しいので。その辺に留意して「これだったらみんなで歌えるんじゃないか」って曲を、特別企画の時にも用意するようにしています。その場にいる全員で楽しむっていうのがある程度前提だと思うので。

―こういう場所じゃないと味わえないですよね。

高橋 そうですね。普通に生きてたら出会わない体験かなと思います。

 

コロナ下 歌声喫茶を継続するためにいったん店を閉める

―新宿から高田馬場に店舗が移ったいきさつを。

高橋 前のお店が新宿の靖国通り沿いにあって。

―一度行ったことがあります。

高橋 36年やってた店なんですが、前からビル自体を建て替える関係で「いついつまでにここを出てください」という話があった中でコロナ禍になりました。歌声喫茶というもの自体がコロナとものすごく相性が悪くて(笑)。

―そうでしょうね。相性のいいものがあると思えないけど、特にそうですよね。

高橋 そうなんですよ。お食事を提供しながら、お客様が向かいあって飛沫の飛ばし合いになるので。やっぱりどんどんお客様が減ってきて。客層的にも高齢の方が多いのでどうしても気になって来られなくなってしまう。で、元々移転の話があったので、これから歌声喫茶自体を継続させていくために一度お店を閉めて力をたくわえようじゃないかと。移転先をまだ決めずに前の店を出たのが2020年の9月末です。

 閉めてからさらにコロナが猛威をふるった。その中でも各地のホールや公民館を借りて出前の歌声喫茶は続けていたんですけど、二年少しを経て今の高田馬場にお店をオープンしました。当初は新宿駅の近辺で物件を探していたんですが、どうしても家賃の問題とかがあって、「ちょっと視野を広げようか」っていうのでここの物件がみつかって「ここにしよう」となって、オープンしたのが2022年の11月です。だから二年間くらいお店が無い状態で。その間も各地で出前歌声喫茶をやって。

―今も気にしている人はいるし、難しいですね。

高橋 ここ最近は旅行とかされている方もいるし、今は地方からお店に来ている方もけっこういらっしゃって。特に連休になると各地から来られる。ちょっとずつ元に戻りつつあるのかなと思いますけど、なかなか。前のお店の売り上げからするとまだ7割くらいです。どうしてもメインの客層というものがあるので。

―社会全体で出歩くのがおっくうになったとか?

高橋 それもあるかなと思います。あとはどうしても年齢がいってなかなか外に出られないとか、足腰、体調とか。あとは昨今の気候で。

―夏は猛烈に暑いし。

高橋 そうなんですよね。あれだけ暑いとなかなか外に出られないという方もけっこういらっしゃる。やっぱりコロナ下の二年間というのがうちとしては大きくて。

 

出前歌声喫茶で地方にも

―出前歌声喫茶とはどういう風にやってるんですか?

高橋 基本的にはお店でやってることと大きくは変わらないです。コロナ下では首都圏中心でしたけど、コロナ前、今もちょっとずつ復活してきているのが、地方に行って、ホールをお借りして、歌声喫茶をやるんですけど、それも生伴奏で、司会者、歌い手がいて、お客様からリクエストをいただいてそこから始める。本当に北は北海道から南は沖縄まで。ある程度うちと地元の方々と連絡を取り合って会場を押さえてやるんですけど、コロナ下だとなかなか地方の方も開催に踏み切れなかったり。今もそっちの方も公演数がコロナ前より減っちゃってます。でも「あの頃のように」ってちょっとずつ再開しようとしている方もいらっしゃって。忘れずにいてくれる方たちがいらっしゃるのがすごくありがたいなと思います。

―いいですね。でも店舗を毎日やって、その上で地方でもやって大変ですね。

高橋 月曜日が定休日で、火曜から日曜まで夜の歌声があって、水曜から土曜まではお昼の歌声もやってます。その中で地方にいったり、首都圏の出前歌声も継続してやってるので。結構人員は常に足りてないかな(笑)。

―関わっているアーティストの方は、それぞれに活動して、その中でともしびにも出演する?

高橋 基本的には歌声喫茶ともしびの従業員でステージをやってます。うちの会社自体が、従業員全員演者で裏方なんで(笑)。

―劇団と同じだ。

高橋 そうです。私は一応社員です。うちでは専従という言い方をするんですけど。あとアルバイト。株式会社ともしびと別に音楽文化集団ともしびというのがありまして、そこのメンバーにはともしびの従業員も含まれているんですけど、それ以外の方は自分の職業を持ちながらともしびをサポートしてくれています。でもみんな歌ったり、伴奏する人達です。初めて来られるお客様はビックリされる方も多くて。さっきまでステージで歌っていた人が今フロアで注文を取ってるとか、さっきまで中でお料理していた人が前に出て歌っているとか。

―そういう柔軟なところも面白いですね。

高橋 そうなんですよね。つい最近もキッチンのメンバーを呼んで一緒に歌ったら、初めて来られた方がちょっとざわつくんですよ。「あ、あの人メチャメチャ歌がうまい」とか。(笑)そこは確かに面白いところですね。

―他にない魅力ですね。普通はアーティストはアーティストってなりがちですから。

高橋 音楽関係だとその傾向は大きいです。うちはフレキシブル、シームレスなんで(笑)。全員で担ってる。音響とかも。

 

人々の拠り所として

―この間は文団連で大勢でお邪魔してお世話になったようで。私は用事があって参加できなかったんですけど。

高橋 ありがとうございます。団体の方たちも利用していただいて。それぞれの立場ややってることに関係なく楽しめるのが歌声喫茶かなと。年齢も関係なく。

―尊重し合う。

高橋 店内の席も見ての通りバラバラになってるわけでなく、自然と相席になるので、お客様同志でも、ここで初めて会って仲良くなったり、意気投合されたり。世代が近かったらもちろんですけど、世代が離れていても話して仲良くなる光景が見られる時があるんです。お互いを尊重し合って一緒にその場を楽しもうというのが根底にあるんですね。それはすごいと思います。

―歌声喫茶が始まった根底にそういうものがあったということですかね。

高橋 歌声喫茶のスタートが、ロシア料理の食堂みたいな所で、ロシアの歌のレコードをBGMとしてかけたら、そこにいたお客さんたちが一緒に歌い始めたっていうのが始まりなんです。なんとなく気持ちが通じ合ってというのがスタートにあったと思いますし、一時期、スローガンとして「一人ぼっちの青年をなくそう」っていうのがあって。地方から首都圏に出てきて拠り所が無い人たちの居場所を作ってきたのが歌声喫茶でありともしびであると思うので、人と人とのつながりは大事にしてきたんだと思います。

―まさにコミュニティですね。

高橋 一つのコミュニティとして成り立っていると思います。

―ご出身は。

高橋 新潟県です。

―新潟もいい所ですね。私も仕事柄日本中あちこち行くんで。昨日も静岡の伊東の方にいたんです。

高橋 うちの従業員は地方出身が半分くらいです。私はステージで「新潟出身です」って言うので、終わった後にお客様から「新潟のどこなの?」って聞かれて。柏崎市なんですけど。

―原発のあるところですね。

高橋 そうです。「柏崎です」って言うと、「私は○○よ」って、新潟出身の方がかなりいらっしゃるんですよ。(笑)

―なんか日本人は同じところの出身だというと急激に接近していく(笑)。

高橋 つながりが一個できる。

― 「あそこあそこ」みたいな。新潟はアクセスもいいですしね。

高橋 今はそうですね。ともしびのメイン世代が若い頃にあった集団就職で、地方から東京に出てきたっていう人も多いので。そういう人たちの拠り所になって築かれてきたのがともしびだということは、ここで働いていて思うことです。

―ギスギスした社会になってきつつあるので、こういう所でいろんな気づきがあればいいですね。

高橋 今は人どうしのつながりが希薄な時代だと思うので。絶対人は一人では生きていけるものではないし、小さなつながりでも人同士のつながりが作れればというのが一つの目標です。

―人前で歌うのが恥ずかしいという人でも入りやすい。

高橋 歌声喫茶は歌うことを強制ずるわけではないので。その人自身の過ごしやすいやりかた、聴くだけの方もいらっしゃいますし、自分の好きな歌だけ全力を尽くして歌う方も(笑)。わりと気軽に来られる場所だと思います。

―若い人もいっぱい来てくれたらいいですね。みんなで歌うというと照れくさい人もいると思いますけど。

高橋 学校の授業だと歌わなきゃいけないじゃないですか。

―まあ、授業だし(笑)。

高橋 そういったものが全くないので。聴いてるだけでも新たな発見があったり。全く知らない、聴いたことのない歌に出会ったり。

―それは素敵ですね。

 

歌声喫茶という文化を広く伝えたい

―コロナの影響も残っていると思いますが、これからの活動としてどういうことをやっていきたいですか。計画や夢も含めて。

高橋 そうですね…。うちの会社自体が、ギリギリのところで経営しているので(笑)。

―それは劇団も同じです。

高橋 文化団体はそういう傾向になりがちだと思うんですけど、いろんな人の拠り所になってきた歌声喫茶という文化を後世に伝えて行きたいし、世代の偏りがかなり大きいので、偏りなくいろんな世代や境遇の人達が一緒に楽しめるお店を作れればいいなというのが私自身目指していることです。年齢だけじゃなく、国籍だったりいろいろあるじゃないですか。そういった人たちが一緒に笑い合って歌を歌っているというのが目指す所です。

―歌の力は大きいですね。固くなりがちな心をほぐす。

高橋 私自身新潟出身で、小学校卒業までに大きい地震を三回経験していて。

―あー、そうですね。

高橋 中越地震と、中越沖地震と、東日本大震災。中越沖地震が地元の柏崎を直撃した地震で。一週間くらい電気とかも途絶えていたんですけど、そういう時にラジオから流れてくる歌や音楽がすごい力になったっていうのはありましたね。歌って何か道具が無ければできないことではなくて、身一つでできることだと思うので、歌うことで自分自身や周りの人たちが勇気づけられるというのはすごく大きい力だなと思います。

―能登地震の影響は。

高橋 うちの地元も震度5弱かな。地元自体は大きく家が壊れたという被害は無かったです。庭の石灯篭が倒れたという話は聞きましたけど。影響はあったと思います。

―災害に会うと心細いし、そういう所に歌声喫茶を届けられたらいいですね。

高橋 中越地震や東日本大震災の時も、私はまだ従業員じゃなかったですけど、ある程度落ち着いてから現地に歌声をボランティアで届けようとやっていたそうなので、これからもそういうことが出来るといいと思います。

―歌声喫茶の始まりは60年代でしたっけ?

高橋 はっきりしたことがわからないらしいんですけど、1954年と言われています。

―ゴジラと一緒。

高橋 そうです。ゴジラとJRA(競馬)と一緒です(笑)。

―場所はどこでしょう。

高橋 新宿らしいです。

―自然発生的にできたというのは面白い。

高橋 そこに経営者が目をつけて「これは商売になる」と。お店として成立させた。最初は歌声喫茶とは言わなかったそうです。

―ともしびの従業員の方って何人くらいいるんですか?

高橋 専従が20人くらいだと思います。その他にアルバイトとか。

―コロナの時の歌声喫茶って、マスクしたり、パーテーション使ったりしてやったんですか?

高橋 かなり気を使ってましたね。基本的に出前歌声喫茶でも、お客様はマスクして、従業員もマスクの上にフェイスシールドして。狭い会場だとパーテーション立てて。ある程度広い会場だと、前列を潰して距離を取ったり。

―客席も一つおきとか。

高橋 そうです。

―演劇もそうでしたね。市松模様みたいに客席を潰して。

高橋 その時のスタッフ全員で、一席おきに張り紙したり。入る時は検温消毒してやってました。

―余談ですけど、私も2回感染しました。お客様との関係では接触を避けても、舞台の上ではマスクできないんで。

高橋 演劇はそうですよねー。私自身はコロナになってないというか、症状が出なかったんです。でも従業員は何回もなる人がいたし。

―最初の頃は「遊んでるからなったんだろう」なんて偏見もあったり。それがまた人の心を頑なにしたりしましたね。

高橋 発症したら、直前で公演したところのお客様に連絡したり、相当気を使いました。

―生な人間の関わり合いが回復していくことを願っています。

高橋 私含めてともしびの若手が作ってる若者サークルの「ぱれっと」って言うのがあるんですけど、それが結成されたのがコロナになる直前で(笑)。なかなか活動ができず。

―前でよかったですね、ともかく結成できたから。コロナ中も交流を?

高橋 リモートで交流会をやったり、コロナ中も、お店はやってないけど、ともしびのスタジオで、さっき言ったような企画をやってライブ配信したり。首都圏の出前公演にも行きました。前の店で常連だった方たちは首都圏の出前歌声によく来てくださって。コロナになって一年たって出前公演を始めたんですけど、そういう時に出会うと「お久しぶりー」なんて。月の半分くらいは行ってました。全員で全部の会場をかわりばんこに。

―募金もやりました?

高橋 はい。コロナの支援募金もやりましたし、このお店を作るための募金も、建設募金という。今も「70年存続募金」というのをやっていて、本当にお客様には支えていただいたと思います。6000万円くらいになりました。

―すごい。それはやはり全国で活動している結果ですね。

高橋 そうです。それでなんとかやってこれたという感じです。

―今日はありがとうございました。

 

 

 

左うたごえ高橋さん 右取材者東京芸術座森さん